司馬遼太郎さん没後30年「菜の花忌」 終戦の地・佐野市で営まれる
歴史小説「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などで知られる作家、司馬遼太郎さん(本名・福田定一、1923~1996年)の命日(2月12日)を前に、2026年2月11日、栃木県佐野市で没後30年となる「菜の花忌」が執り行われた。司馬さんが陸軍少尉として駐屯し、終戦を迎えたこの地で、地元関係者や児童ら約50人が参列し、故人の功績を偲んだ。
佐野市は司馬文学の原点 終戦を迎えた地での追悼
佐野市は司馬遼太郎文学の原点として知られている。司馬さん自身が「四十前後から、二十二歳の佐野の町にいた私自身にむかって手紙を書きはじめました。それが、私の小説のようなものです」と語っているように、この地での体験が後の作品に大きな影響を与えた。
1945年夏、21歳から22歳にかけて、司馬さんは戦車中隊の少尉として佐野市植野国民学校(現・市立植野小学校)に駐屯していた。千葉県や神奈川県沿岸からの米軍上陸を想定し、本土決戦に備える任務に就いていた。敗戦の玉音放送は、この校内で聞いたとされている。
11年目を迎える「菜の花忌」 児童の朗読や当時の記憶を語る
「菜の花忌」は有志による実行委員会が主催し、今年で11年目を迎えた。式典では菜の花の献花が行われ、植野小学校の児童たちが司馬さんの随筆「二十一世紀を生きる君たちへ」を朗読した。
さらに、当時国民学校6年生だった早乙女務さん(92)が講話を行った。早乙女さんは司馬さんとの交流の記憶をわずかに持ち、研究者として書籍「あの夏の日の司馬遼太郎」を出版している。早乙女さんは「今の混沌とした世界は司馬さんの目にどう映るだろう。聞いてみたいね」と感慨深げに語った。
次世代へ受け継がれる司馬文学の精神
参列した植野小学校6年生の古橋心菜さん(12)は「戦争のことをもっと学びたいと思った。中学になったら司馬さんの本に挑戦したい」と話し、司馬文学が若い世代にも受け継がれていることを示した。
式典が行われた市植野地区公民館には「司馬遼太郎文学碑」が建立されており、参加者たちはこの碑の前で献花を行い、静かに祈りを捧げた。佐野市にとって、司馬遼太郎さんは単なる著名な作家ではなく、この地の歴史と深く結びついた特別な存在であることが改めて確認される機会となった。
没後30年という節目の年に、終戦を迎えた地で営まれた「菜の花忌」は、司馬文学の原点を再認識するとともに、平和への思いを新たにする貴重な追悼の場となった。佐野市では今後もこの伝統が継承され、司馬遼太郎さんの文学と思想が次世代へと語り継がれていくことが期待されている。