福島・郡山で68年続く児童詩誌「青い窓」 戦時中の体験から生まれた自由表現の場
児童詩誌「青い窓」68年の歩み 戦時体験から生まれた表現の場

戦時中の体験が原点 全盲の詩人が創刊した児童詩誌

福島県郡山市で1958年5月に創刊された児童詩誌「青い窓」は、2026年現在で68年の歴史を刻んでいる。創設者は同市出身の全盲の詩人、佐藤浩さん(1921~2008年)で、地元の友人らとともに立ち上げた。誌名の「青い窓」は「東北の澄みわたった空」から着想され、詩という「心の窓」から子どもの夢や希望が大空に広がるようにとの願いが込められている。

戦時下での苦い経験が活動の原動力に

「青い窓」創刊の発端は、戦時中に国民学校の教員だった佐藤さんが経験した出来事にあった。1981年に小学館から刊行され、2025年秋に復刻された書籍「青い窓からひろがるうた」によると、佐藤さんは教え子の少女「サキちゃん」が書いた詩を掲示板に貼り出したことで問題となった。

サキちゃんの詩「ゆんべのこと」は、夜中に起きて母がランプもつけずに泣いている姿を見たことをつづった作品だった。「きっと とうちゃんがへいたいだから みんな見でっからなかねんだ」「私はふとんを 頭までかぶった こーろぎは ひるまも ないている かわいそうな かあちゃん」という言葉には、出征した父親を心配する気持ちが込められていた。

当時、このような表現は「戦争への批判」と受け止められ、佐藤さんは教頭から叱責され、結局退職を余儀なくされた。サキちゃんも母から「もう書くな」と言われたという。この戦時中の体験が、後に「青い窓」創刊の強い動機となった。

失明後も詩への情熱 子どもたちの居場所づくり

戦後、25歳で完全に失明した佐藤さんは盲学校で点字を学び、詩や小説を書き続けていた。高度経済成長期に地域から遊び場が消えつつあった時代、「子どもたちの居場所をつくりたい」という思いから、少年時代からの仲間3人と協力して「青い窓」を始めた。

投稿された子どもたちの詩を冊子にまとめて発行し、表紙に掲載した1編を、かわいらしいイラストとともに友人が営む和菓子店「柏屋」のウィンドーに掲示した。佐藤さんは「みんなが詩を書いて、みんなが見にくる。……もう、しかられないさ」とつぶやいたという。戦時中にサキちゃんが書いた詩を思い起こしていたのだ。

68年間の継続 現在も年6回発行

「青い窓」は現在、幼児から中学生を対象に年6回発行されており、学校・学級単位の投稿も多い。2026年1月の最新号で通算621号に達した。最新号の表紙には「ぼくはおにいちゃん」という小学1年生の男の子の詩が掲載されている。妹と弟が3人いる「ぼく」が、夜になると母親の隣で誰が寝るかの取り合いになる中、「やさしいぼくは かわいい いもうととおとうとに おかあさんのとなりをかしてあげる」とつづっている。

1962年に投稿され、2025年11月の号にも再掲された小学5年生の女の子の詩「こたつ」も印象的だ。「あたたかいこたつ 家の家族は五人」「『五角のこたつならいいなあ』と、おねえさん」「一番あとからはいるかあちゃんは 私と同じ所 私はやっぱり 四角でもいい」という作品は、平穏な日常の幸せを感じさせる。

震災を乗り越え 復刻本も刊行

「青い窓の会」は2025年秋、「青い窓からひろがるうた」を自費出版の形で1500部復刊し、福島県内の小中学校などに寄贈した。当初の版元だった小学館に在庫がなく、同会で保存していた本などを基に再現された。

復刻本の巻末に付け加えられた後書きでは、東日本大震災と福島第一原発事故の後、詩誌の発行継続が危ぶまれた経緯などが、現在の編集発行人の橋本陽子さんによってつづられている。佐藤さんと友人たちが「永く続けられる活動にしよう」と約束していた思いは、震災後も受け継がれている。

自由な表現の喜びを育む場として

「青い窓」の目的は、上手な詩の書き方を教えることではなく、「自分の心を詩で表現することで、心豊かな人間に育ってほしい」という願いにある。佐藤さんは生前、「子どもたちが自分の心を詩で表現することで、よく見つめ、よく考えるようになり、想像力や思いやりの気持ちが育まれていく」と語っていた。

ネット上で様々な言説が氾濫する現代において、「言葉」を大切にする子どもたちの詩を載せた「青い窓」がこれからも広がり、続いていくことが期待される。東北の澄みわたった空のように、子どもたちの自由な表現の場としての役割を果たし続けるだろう。