秋元順子の東京音楽物語:ジャズの軌跡を辿る
ニューヨークから帰国した秋元順子は、すぐにライブ出演の依頼を受けた。ボイストレーナーの紹介もあり、ジャズのレッスンを受けながら、ジャズクラブやライブハウスでの歌唱活動を開始した。
多忙な日々と家族の支え
昼間はフラワーショップの店長として働き、自宅では母として、妻としての役割を果たす日々が続いた。秋元は家族の協力に深く感謝し、「感謝の言葉しかありません」と語っている。新しい曲を覚えるため、スタンダードジャズやラテン、シャンソンなどのCDや譜面を購入し、店でも自宅でも熱心に聴き込んだ。
六本木から広がる音楽活動
知り合いのミュージシャンから、「六本木である結婚式のパーティーで歌ってほしい」や「吉祥寺の店にボーカルとして一緒に出てほしい」といった依頼が舞い込むようになった。ある時、ボーカルの友人から代役としての依頼を受け、どんなことも良い経験になると考えて引き受けた。そのお店のオーナーに気に入られ、出演日数が次第に増加していった。
活動の場は六本木からさらに広がり、お台場や上野池之端のお店でも歌う機会を得た。セミプロとしての時代には、自分主催の場合は以下の全てを一人でこなさなければならなかった:
- お店との連絡調整
- お客さまへの案内状作成
- セットリストの作成
- ミュージシャンへの支払い管理
しかし、歌えること自体が楽しく感じられ、素晴らしいミュージシャンとの出会いは大きなエネルギー源となった。秋元はこれらの経験を通じて、東京の様々な場所で音楽活動を展開する基盤を築いていったのである。