旧優生保護法被害者、西スミ子さん死去 79歳、強制不妊手術の実名原告として闘い続ける
強制不妊被害の西スミ子さん死去 79歳、実名で闘った原告

旧優生保護法の被害者、西スミ子さんが79歳で死去 実名で闘った原告の勇気ある生涯

旧優生保護法(1948年~1996年)の下で不妊手術を強制された被害者であり、国家賠償請求訴訟の原告として実名で闘い続けた西スミ子さんが、79歳で死去したことが2月10日、関係者への取材により明らかになった。関係者によれば、西さんは同日、東京都日野市の自宅で静かに息を引き取ったという。この訃報は、日本の歴史的過ちと向き合う社会の在り方に改めて深い問いを投げかけている。

脳性まひを理由に13歳で強制手術 生涯にわたる苦悩と闘い

西スミ子さんは大阪府の出身で、幼少期から脳性まひを抱えていた。当時、彼女は「生理がなくなる」という曖昧な説明のみを受け、わずか13歳という年齢で不妊手術を強制された。この手術は、旧優生保護法に基づく「不良な子孫の出生防止」を名目に行われたもので、西さんはその後、身体的・精神的苦痛に長年苦しみ続けることとなった。

2022年、西さんは東京地方裁判所に国家賠償請求訴訟を提起し、国に対する責任追及の道を歩み始めた。そして2024年7月、同種の先行訴訟が最高裁判所で勝訴判決を得たことを受け、西さんは国との間で和解を成立させた。この和解は、法的な救済の一歩ではあったが、彼女の心の傷が完全に癒えることはなかった。

実名と顔を公表し続けた勇気 偏見と差別に立ち向かう姿勢

旧優生保護法による強制不妊手術の被害者の中には、根強い社会的偏見や差別を恐れ、実名を伏せて活動する人が少なくない。しかし西スミ子さんは、そうした風潮に敢然と抗い、自らの実名と顔を公表し続けた。彼女はメディアのインタビューに応じ、自宅のベッドで過ごす姿を公開することで、被害の実相を社会に訴えかける役割を果たした。

その活動は、単なる個人の闘いを超え、歴史的過ちに対する社会的反省を促す象徴的な存在となった。西さんの勇気ある姿勢は、多くの人々に障害者差別や人権侵害の問題を考える機会を提供し、日本の司法と社会制度の改革に影響を与えたと言える。

残された課題と今後の展望 西さんの遺志を継ぐ道

西スミ子さんの死去は、旧優生保護法問題が未だ解決途上にあることを改めて浮き彫りにした。同法の下では、約1万6,500人もの人々が不妊手術を強制されたと推定されており、その全容解明と被害者への十分な補償は依然として重要な課題である。

西さんが実名で闘った意義は大きく、彼女の活動は今後も歴史の教訓として語り継がれるだろう。社会は、彼女の勇気に学び、差別のない公平な社会の構築に向けて努力を続ける必要がある。西スミ子さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、その遺志が未来の世代に受け継がれることを願わずにはいられない。