普天間返還の隠された条件「那覇空港」、米側の思惑と日本の回避策を文書が明らかに
普天間返還条件に「那覇空港」、米側思惑と日本の回避策

米政府文書が明かす普天間返還の隠された条件

1996年11月26日付の米政府内部文書に、「那覇空港の緊急使用」に関する記述が存在することが明らかになった。この文書は「外務省、防衛庁、在日米軍との二国間会合」と題され、日米特別行動委員会(SACO)の最終報告草案について議論した実務者協議の内容を記録している。

文書発見の経緯と背景

国際政治学者の我部政明氏が琉球大学教授時代の2008年、米国防総省が環境団体への訴訟で開示した文書の一部として入手した。現在は琉球大学が保管・公開している。1996年当時、SACOは約1年にわたり「沖縄の基地負担軽減」を議論しており、その目玉が同年4月12日に発表された米軍普天間飛行場の全面返還だった。

那覇空港を巡る緊急使用の議論

文書には東京・南麻布の米軍施設ニューサンノーで行われた協議の詳細が記されており、「那覇空港の緊急使用」について「日本語で『緊急』は、英語と同じ意味を持たない」「通常とは違うことを意味する」など、「緊急」という言葉の定義を巡る議論が行われたことが示唆されている。発言者は明記されていないが、日米間の認識の違いが浮き彫りになった様子がうかがえる。

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米軍の戦略的思惑と日本の対応

沖縄において長い滑走路を備える米軍航空基地は、普天間飛行場と嘉手納基地の2カ所のみである。普天間が返還されれば嘉手納基地だけとなり、同基地が攻撃を受けた場合に米軍の航空機能が停止する恐れがあった。このため、沖縄本島で唯一3千メートル級の滑走路を備える那覇空港の使用を、米側は当初から普天間返還の条件として日本側に求めていたと我部氏は分析する。

最終報告から消えた「那覇空港」の明記

しかし、会合の6日後に発表されたSACO最終報告には、普天間を含む11施設・区域の返還計画が盛り込まれたものの、「那覇空港」への直接言及はなく、「代替施設の緊急時における使用について研究を行う」との表現にとどまった。我部氏は「日本側も当然、この『代替施設』が那覇空港しかないことは分かっていたはずだ」と指摘する。

「『沖縄の負担軽減』を名目とするSACOが、普天間返還の代わりに那覇空港を米軍が使うと明示したら、沖縄の反発を招く。そう考えて日本側が明示を避けたのかもしれない」と我部氏は推測している。

返還合意から30年経過した現在の状況

普天間飛行場の返還合意が発表されてから2026年4月12日で30年が経過するが、基地は依然として宜野湾市の市街地に残り続けている。返還条件となっている「民間施設の使用」についても具体的な進展が見られず、日米間の認識の一致が疑問視されている状況だ。

今年2月下旬には、米軍関係者が「長い滑走路は日本が選定する」と発言するなど、那覇空港を巡る問題は現在も潜在的な課題として存在し続けている。この文書の発見は、普天間返還問題の複雑さと、日米安全保障体制の根幹を揺るがす要素を改めて浮き彫りにしたと言えるだろう。

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