中日ドラゴンズ1974年リーグ制覇への道:飯田幸夫の代打満塁サヨナラ本塁打がチームに勢いをもたらす
1974年中日ドラゴンズ、飯田幸夫の代打サヨナラ弾でリーグ制覇へスパート

中日ドラゴンズ1974年リーグ制覇への熱き闘い:飯田幸夫の代打満塁サヨナラ本塁打がチームを奮い立たせる

1974年、中日ドラゴンズは20年ぶりのセントラル・リーグ制覇を目指し、8月末から第1段階のスパートをかけた。引き分けを挟んでの7連勝を記録し、勝負の秋を迎える中で、日替わりヒーローが次々と誕生した。その中でも特に輝かしい瞬間が、9月3日の本拠地での広島戦であった。

飯田幸夫の代打満塁サヨナラ本塁打:チームの勢いを決定づけた一撃

試合は2対2の同点で九回を迎え、先頭打者・谷沢健一の二塁打を足掛かりに、中日は無死満塁の絶好機を作り出した。ここでベンチは星野仙一の代打として、近鉄から移籍3年目の飯田幸夫を送り込んだ。飯田は金城基泰の内角球を強振し、逆風をつくライナーが左翼席に突き刺さり、代打満塁サヨナラ本塁打が決まった。

飯田自身が後に語ったように、「外野へ打球が飛んだから、捕られてもサヨナラ。責任は果たしたと打球を見たらスタンド入り。シビれましたね」という興奮気味の談話が、この離れ業の重要性を物語っている。この一打で中日は首位の巨人に並び、チーム全体が一気に盛り上がりを見せた。

鈴木孝政の回想:飯田幸夫のムードメーカーとしての役割

当時入団2年目だった鈴木孝政は、飯田幸夫について「とにかくひょうきん。横浜出身の面白いお兄さん。ベンチを明るくしてくれる人だった」と振り返る。プロ9年目の先輩打者との思い出がよみがえり、思わず噴き出したエピソードも語られている。

ある試合中、鈴木と飯田はベンチで「実況中継」を始め、打席の大島康徳について「最近、どうでしょうか?」「ちょっと打撃が下降気味ですねえ」とコソコソ話していた。すると監督の与那嶺要に気付かれ、「試合中に何やってんの、おまえたちは!」と雷を落とされてしまったという。このエピソードは、チーム内の和やかな雰囲気と飯田のムードメーカーとしての面目躍如ぶりを鮮明に示している。

飯田幸夫のキャリアと「一発屋」の意地

飯田幸夫は1966年に横浜高からドラフト4位で近鉄に入団し、高卒新人ながら開幕1軍入りを果たした。一枝修平とのトレードで1972年から中日に加わり、1974年は江藤省三とともに代打の切り札として活躍。この年は3本塁打を記録し、いずれも代打で放ったものであった。

鈴木孝政は飯田について「飯田さんはパンチ力があった。引退後は長く打撃コーチをやっていたね」と語り、飯田が「もし俺が監督になったら、打撃コーチやってくれますか」と尋ねると「おう、やるやる」と答えたという会話も紹介している。まさに「一発屋」の意地とムードメーカーの面目が、この代打満塁サヨナラ本塁打で発揮されたのである。

リーグ制覇への道:チームの結束と連勝の勢い

飯田のグランドスラムで首位巨人に並んだ中日は、その後も勢いを止めなかった。3日後には再び満塁で次々と豪打が飛び出し、チーム全体が一丸となってリーグ制覇へ向けて突き進んだ。この1974年シーズンは、中日ドラゴンズの球団史においてひときわ輝くシーズンとして記憶されている。

鈴木孝政の目線を通じてたどるこの物語は、単なるスポーツ記録を超え、チームワークと個人の意地が織りなす熱き闘いのドラマを伝えている。飯田幸夫の代打満塁サヨナラ本塁打は、中日ドラゴンズのリーグ制覇への第1段階のスパートを象徴する瞬間として、今もファンの心に刻まれ続けている。