プラネタリウムクリエイター大平貴之、高校時代にオーストラリアの星空に衝撃を受ける
プラネタリウム大平貴之、高校でオーストラリア星空に衝撃

世界的に有名なプラネタリウムクリエイターである大平貴之さん(56歳)は、幼少期からものづくりに夢中でした。様々なことに興味を持ちながらも、宇宙への憧れは常に心のどこかにあったと振り返ります。

中学時代はバスケ部からアニメーション部へ

「バスケットボールの実業団選手だった父の影響で、中学ではバスケ部に入りましたが、球技が苦手で全く続きませんでした。次第に幽霊部員のようになり、アニメーション部の門をたたきました。きっかけは『宇宙戦艦ヤマト』というアニメ作品です。テレビのチャンネル争いで兄に負け、初めは仕方なく見ていましたが、次第に宇宙へのロマンをかき立てられ、気がつけば兄以上にのめり込んでいました」

部活では、好きなアニメの絵を模写する仲間が多かったそうですが、大平さんはそれでは満足できず、もっと本格的なアニメーションを制作しようと考えました。ちょうど部に8ミリフィルムのカメラがあったため、1000枚ほどの原画をパラパラ漫画の要領で撮影し、本物のアニメのように仕上げたのです。その作品は、小型飛行機を操縦する主人公が敵に追い詰められていく話でした。美術の成績は5段階の1だったため、文化祭で披露した際には、先生に「本当にお前が作ったのか」と驚かれた記憶があると笑います。

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高校で物理部に入りプラネタリウム製作に再挑戦

高校に進学すると、再び宇宙への思いが膨らみ、プラネタリウム作りに本格的に取り組み始めました。大平さんは東京の日本大学第二高校に進学し、物理部に入りました。その理由は、部内に天文班があったからです。それまでは基本的に一人でものづくりや実験に没頭することが多かったものの、同じように宇宙に関心のある仲間と出会えるかもしれないと考えたのです。

プラネタリウム作りは1年生から再開しました。小学生の時に作っていたピンホール式プラネタリウムを引っ張り出し、より性能の良いものを作ろうと挑戦を重ねました。完成したプラネタリウムは、文化祭の物理部の出し物として皆に見てもらいました。映し出される星空に自分で選んだ曲を合わせて演出し、来場者が笑顔で帰ってくれたことが本当にうれしかったといいます。部活では、思っていた通り多くの天文仲間ができ、充実した日々を過ごしました。

オーストラリアの星空が人生を決定づける

高校生時代、オーストラリアで見た星空の美しさに感動したことが、その後の人生を決定づけました。高校2年生の時、ハレー彗星を見るためにオーストラリアへ行きました。天文雑誌に載っていた広告を見せたところ、母親が「いい思い出になるから」と奮発してくれて、一人でツアーに参加しました。

お目当ての彗星も見られましたが、それ以上に衝撃を受けたのは南半球の星空でした。頭上には南十字星がはっきり見え、とにかく明るい。日本ではよく見えない天の川の複雑な模様も、立体的に見えるのです。本物の星空はこんなにも違うのかと思い知らされました。

帰国後、すぐに新しいプラネタリウム作りに着手しました。それまでは、厚手の紙に無数の穴を開けた「投影原版」で電球を覆い、星空を表現していましたが、それをモノクロ写真のフィルムに変えてみました。フィルムを原版に使うと、焼き付けた星の部分だけが白く投影されるため、穴を開ける手間が省けます。映し出せる星の数は約1万6000個と3倍近くに増え、それぞれの位置もより正確に示せるようになりました。

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当時、すでに宇宙に関わる仕事を意識していましたが、まだ具体的な将来のイメージは描けていませんでした。しかし、頭の中では新たな構想が動き出していました。「大学に行ったら、もっとすごいプラネタリウムを作ってやるぞ」という思いでいっぱいだったそうです。