写真家の最高賞の一つ「土門拳賞」を受賞し、自然を活写した作風で知られる下瀬信雄さん(81)が、80歳を超えて新たな境地の作品づくりに打ち込んでいる。今の被写体はコスプレイヤーやアイドルらだ。「写真家は何かにひかれ、無心でシャッターを切る。一コマ、一コマを積み重ね、ひかれたものが何かをひもとく」。そう静かに語る姿からは想像できないほど、作品づくりに向き合う感性は若々しい。
「最高傑作」と語る一枚
下瀬さんが真顔で差し出したA3判サイズの写真には、東京・歌舞伎町を走行する宣伝用トラック側面の大きな液晶画面に、5人組の女性アイドルグループが浮かび上がっていた。女性の顔かたちはおおざっぱで色合いも不自然だが、それ故に人であって、そうではない者が都会の人波を見守っているかのよう。自身としては、この女性アイドルが色落ちした年代物の観音様に見えるという。「これ、撮りためた1万カットの中でも最高傑作だと思う」と語る。
萩を拠点に都市へ
5月中旬、拠点とする山口県萩市中心部の写真館「シモセスタジオ」前の通りでは、初夏の陽気の中で半袖姿の観光客らがのんびりと散策していた。こうした都会の喧騒とは無縁な萩を拠点とする写真家が、東京などの都市部まで足を運び、コスプレイヤーやアイドルらにカメラを向けている。「それはね、興味があるからだよ」。理由は単純明快だ。
写真家としての歩み
自身の写真家の歩みは、高校を卒業し専門学校に入学した時から始まったと言う。雑誌や広告といった用途別の写真の枠組みを超え、写真でしか表現できないものを純粋に追求する、そんなアートな写真の世界が産声を上げた時代だった。家業の写真館を継いでからも、作品を撮りため、都内の出版社に売り込み、45歳の時、萩で暮らす人の視点で自然を切り取った写真集「萩・HAGI」が日本写真協会の新人賞に選ばれた。自他共に認める遅咲きの写真家だ。土門拳賞を受賞後も、2023年に萩を拠点に人、自然を活写した写真集「つきをゆびさす」を出版するなど創作意欲は衰えない。
技術と哲学
愛用するデジタルカメラのイメージセンサーは1億画素あり、大判印刷やトリミングをしても高画質を保つ。それだけにレンズの焦点距離や絞りで意図的に「ぼけ」を作り出す表現法について、「写真の特性が失われる」と評するところは、土門拳(1909~90年)らリアリズム系写真家の真骨頂でもある。
新たな被写体、変わらぬ姿勢
田舎から都会へ、自然から人間社会へ――。手掛ける新作の被写体はこれまでと少々異なるが、立ち位置は変わらない。カメラを向けた対象はどれも、自然と同様、自分よりはるかに大きな存在であると謙虚に向き合う。たとえ、宣伝用トラックの液晶画面に映るアイドルや、街中のコスプレイヤーであったとしてもだ。
神々しさとの関連
「人が何かに変装したり、演じたりする行為は古くから神々しさと関係している。能や歌舞伎、神楽のように」。現時点ではこう考え、シャッターを切る。さらに思索を重ね、年末か、来年に、新たな境地の新作を発表するつもりだ。
「この年齢まで写真を撮り続けたら、とっくに仙人のような境地に達しているはずだったが、まだ道半ばだね」と満面の笑みを浮かべた。(木崎俊勝)
プロフィール
1944年、満州(現中国東北部)生まれ。終戦で萩市に引き揚げた。横浜市の写真専門学校を経て、23歳の時、父が創業した写真館「シモセスタジオ」を継いだ。その後も作家活動を続け、アニミズムを思い起こさせる自然の神秘に迫ったモノクロ写真集「結界」(2014年)で第34回土門拳賞(15年)を受賞。自身の思う写真について「真を写すと言うよりも、光でかくものを意味するフォトグラフィーの方がしっくりくる」と語る。



