八重洲の地名はオランダ人ヤン・ヨーステンに由来
JR東京駅の八重洲口側に広がる中央区八重洲。一見すると純日本風の地名だが、その起源を辿ると、1600年にオランダ船「デ・リーフデ号」で日本に漂着したヤン・ヨーステン(和名・耶楊子)にたどり着く。徳川家康に重用され、屋敷も与えられたこのオランダ人にちなむ歴史を、現代の街並みと共に探訪する。
八重洲口の大屋根がリーフデ号の帆を連想させる
八重洲口前を特徴づけるのは、ひさしのように張り出す全長200メートルを超える大屋根だ。広場と歩行者デッキを覆う膜構造は、「クリスタルの塔と光の帆」がデザインコンセプト。この風景は、風を受けて海を渡るリーフデ号の帆を思わせ、歴史的な繋がりを感じさせる。
八重洲通りに立つヨーステン記念碑
駅正面から真っすぐ延びる八重洲通りの中央分離帯には、ヤン・ヨーステンの頭部像とリーフデ号のレリーフをあしらった記念碑が設置されている。説明によれば、彼の屋敷は「現在の和田倉門から日比谷に至る内壕の沿岸」、つまり駅を挟んだ反対側の丸の内口方面にあったという。
ヨーステンにちなんで「八代洲河岸」と呼ばれた屋敷周辺は、明治時代に「八重洲町」という地名となり、昭和初期まで続いた。その後、現在の場所が「八重洲」の名を受け継いだ経緯がある。
八重洲地下街にも残る歴史の痕跡
八重洲口至近の「八重洲地下街(ヤエチカ)」にも、ヤン・ヨーステンの記念像が設置されている。その脇にはオランダからの航路が地図で示され、彼が朱印状を得て東南アジアを中心に貿易を営んだ事績が紹介されている。これらの展示は、国際交流の先駆けとなった歴史を現代に伝えている。
丸の内口側のリーフデ号モニュメント
最後に丸の内口側へ回ると、リーフデ号の彫刻モニュメントが目に入る。高層の丸の内ビルディングの隣で、荒波を超えて進む船の姿がダイナミックに表現されている。なお中央区日本橋室町には、ヨーステンと同じ船で漂着し、日本に定住したウィリアム・アダムス(三浦按針)の住居跡を示す碑も残っている。
アーティゾン美術館も近隣の見所
八重洲通りのヨーステン記念碑の近くには、アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)がある。入り口前の広場は、ビル街の中の小さなオアシスとして親しまれており、歴史散策の合間に立ち寄るのに最適だ。
東京の中心地・八重洲には、徳川家康時代の国際交流を物語る歴史が刻まれている。オランダ人ヤン・ヨーステンの足跡を辿る散歩は、現代の都市景観と江戸時代の歴史が交錯する貴重な体験となるだろう。



