鈴木孝政にとって、浜松球場でのキャリアハイライトは、元号が平成に変わった1989年7月21日のヤクルト戦だった。この日、4番手としてマウンドに上がった鈴木は、米フロリダ州出身で「ワニを食べる男」として知られるパリッシュを、見事な空振り三振に仕留めた。この三振こそが、鈴木にとって通算1000奪三振の記念すべき一球だった。
記念球に込められた思い出
通算1000奪三振を達成した記念球には、相手打者であるパリッシュのサインが今も刻まれている。鈴木は当時の状況をこう振り返る。
「真っすぐで空振りを取ったんです。するとパリッシュが、『こんなに遅いボールを空振りしちゃった』という感じで、カーッと怒ってバットをボキッと折ってしまった。まったく失礼だよな」
一夜明け、鈴木は通訳の足木敏郎を伴って相手ベンチへ向かった。パリッシュに「実はこういうわけで…」と事情を説明し、記念のボールへのサインを依頼すると、前夜の鬼の形相から一転、快く応じてくれたという。
「喜んで書いてくれて、『Congratulations(おめでとう)』って言ってくれました」
このシーズンを最後に、鈴木はユニホームを脱ぐことになる。
鈴木修との邂逅
昭和の時代からは少し外れるが、浜松にまつわるもう一つの忘れられない思い出がある。一昨年に94歳で亡くなったスズキの元社長、鈴木修との出会いだ。修は生前、中日ドラゴンズ浜松後援会の会長などを歴任し、沖縄キャンプにも熱心に足を運んだ。
鈴木孝政が浜松で講演に呼ばれた際、隣の席に座った修から多くの話を聞く機会があった。「出身が岐阜(現下呂市)だから雪国の大変さや、若いころに外国で苦労した話など、いろいろとね。大ヒットさせたスクーターについても話していたなあ」と鈴木は回想する。
特に印象的だったのは、修の律義さだ。多忙の中でも講演に駆けつけ、交通状況で少しでも遅れそうになると、逐一連絡を入れて現在地を伝えたという。
「『今ここです、あと5分で着きます』と連絡が入る。そんなに遅れていないんだよ。反対に、平気で遅れる人もいる。これだけ偉い人が、こんなに気を使っている。やっぱり違うなと、勉強になりました」
最後に会った時は筆談だった。修が赤色のペンでノートに記していたため、理由を尋ねると「会社が赤字にならないように」とさらりと書いてニコリ。そんなジョークが今も忘れられない。
数え切れない思い出が重なる浜松
18歳の新人時代、初めて訪れた浜松については「浜名湖とウナギぐらいしか知らなかった」という鈴木だが、いつの間にか数え切れない思い出が重ねられている。ただ、同じ静岡県内には、もっと多く登板した球場もあるという。



