鍵山優真、ミラノ・コルティナ五輪で連続銀メダル オールラウンダーへの道と父の言葉
鍵山優真、五輪連続銀 オールラウンダー目指し父が称賛

鍵山優真、ミラノ・コルティナ五輪で連続銀メダルを獲得

しなやかで力強いスケーティングと、表現力豊かな演技が氷上で花開いた。ミラノ・コルティナオリンピックのフィギュアスケート男子で、2大会連続の銀メダルを獲得した鍵山優真選手(22)。ずっと「オールラウンダー」を目指し続けた日本の男子エースが、波乱含みの決戦の舞台で意地を見せた。

波乱のフリー演技で銀メダルを確定

10日のショートプログラムを終え、米国のイリア・マリニン選手(21)と5.09点差の2位で迎えた13日のフリー。冒頭の4回転サルコーでバランスを崩し、続く4回転フリップでも転倒した。それでも、滑らかなステップと華麗なスピンで会場を沸かせ、暫定2位につけた。

演技後は硬い表情を見せたが、直後のマリニン選手もミスを連発。鍵山選手は自身の「銀」が決まると、笑顔で観客席に手を振った。表彰式後、「悔しさが残ったが、なんとか戦い抜けた」と振り返った。

父・正和さんの言葉とオールラウンダーへの決意

中学1年で横浜市に引っ越してきた頃、指導した振付師の佐藤操さん(55)は、1992年アルベールビル五輪、94年リレハンメル五輪の男子シングルに出場した父の正和さん(54)が、ふとこぼした言葉を覚えている。

「本気でやったらつらい思いをすることはわかっている。本人がやりたいと言わなければ、楽しむスケートでいいんです」。周りの選手が1週間程度で覚える振り付けも、鍵山選手は1か月たっても身につかず、全国レベルの大会では優勝経験がなかった。

目の色が変わったのは中学3年の時だ。正和さんが脳出血で倒れたのがきっかけだった。「スケートを本気でやりたい」。正和さんに宣言した。その頃から佐藤さんによく口にするようになったのが、「オールラウンダーになりたい」という言葉だった。練習もジャンプに偏らないよう、スピンやステップにも時間を割いて精度を磨くようになったという。

北京五輪での快挙とエースへの成長

高校3年で迎えた2022年北京五輪は、ソチ五輪と平昌五輪の金メダリストの羽生結弦さん(31)と、平昌五輪銀メダリストの宇野昌磨さん(28)とともに出場した。憧れの先輩2人の背中を見ながらのびのびと大舞台を楽しんだ結果、自己ベストを更新し、2人を抑えて銀メダルを手にする快挙を達成した。

北京五輪後、日本男子フィギュア界の世代交代が一気に進む。その年の7月、羽生さんが競技からの引退を表明。22、23年の世界選手権を連覇した宇野さんも24年5月に引退表明すると、鍵山選手が「エース」と呼ばれるようになった。

マリニン選手との対決とプレッシャーとの戦い

目の前に立ちはだかったのが、世界で唯一、クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)を成功させ、「4回転の神」と呼ばれるマリニン選手だ。24~25年シーズンのグランプリファイナルと世界選手権はいずれもマリニン選手の後じんを拝し、2位と3位に。日本の歴代エースが君臨した頂点に立つことはできなかった。

五輪1年前になっても「期待に応えなきゃいけない」というプレッシャーに苦しめられた。過度に結果を追い求め、難度の高いジャンプをプログラムに詰め込んでは失敗を重ねた。それまではほとんどなかったステップやスピンでのミスも起きた。

原点回帰と父からの称賛

「エースとはどうあるべきか」。誰が教えてくれるものでもなく、自問自答を続けた。出した答えは、世界と戦うために目指してきたオールラウンダーという原点に立ち返ること。細かいステップやスピン、表情の細部に至るまでこだわりを入れ、「見た人を感動させる演技」に徹した。

迎えたフリーの演技でも、磨き上げた美しいスケーティングで会場から万雷の拍手を浴びた。正和さんは試合後、「背負う物ができた中でも結果が残ったということは、しっかりと努力してきた証拠。彼が世界で一番と言っても過言ではないくらいの努力をしてきたと思っている。喜んであげたい」と語った。

色は変わらなくても、日本のエースとして堂々と戦ってつかんだ銀メダルは、いっそう輝きを増していた。