「常に満腹でいることは卑しいというより、うまいものもまずく感じる。空腹は、何物にも代えがたい味付けでもある」と父は言っていた。さらに、「食い物を粗末にする者、なんでも不味そうに食う者、不機嫌に食う者とは、無理に親しくする必要はない。まあ、その人となりを知りたければ、共に膳を囲めばわかる」とも語っていた。
これが坂上家代々の家訓かどうかは別として、我が家の食事はとても賑やかだ。通常、女子は男子とともに膳を囲むことは滅多になく、女子は男たちの給仕を済ませ、自分たちは台所で食べるのがほとんどである。しかし、我が家では、亡くなった祖母も、母も妹も、いつも一緒だった。母も嫁いできたばかりの頃は、面食らったという。祖父や父はお役目での出来事を話し、清乃は裁縫の稽古で指に針を刺したことを話し、倫太郎は剣術の稽古で頭にこぶを作ったことを話す。祖母や母は皆の話を聞きながら、いつもけらけら嬉しそうに笑っていた。暮らしも食卓も、つましいが明るい家だった。
祖父、祖母、そして父を失ってからも、皆で膳を囲むのは変わっていない。これからもそれを続けるために、きちんとお役をこなさねば。倫太郎は、右手に広がる六浦の海を眺めながら、あらためて肚に力を込めた。途端に腹がまた鳴った。
幕府の変革と桜田門外の変
ただ、幕府はいま、大変な変革を迫られている。今年の三月三日、上巳の節句に、大老が桜田門外で登城の途中に暗殺されたのだ。実行したのは水戸の浪士だったという。大老が襲撃され、首を持ち去られたことは武士としての恥辱であり、公儀の威信の失墜もあったのだろうか。大老の死はしばらく公にはされず、二ヶ月ほど経ってから、急病で伏せっていたが平癒せず逝去したとされた。しかし、そんなごまかしはとうに知れ渡っており、幕府から見舞いとして御種人参が贈られたことから、「人参で首をつげとの御沙汰かな」などと川柳が詠まれた。
父の法事が閏三月の初旬だったため、江戸定府の藤左衛門は、襲撃事件の顛末を話せと親戚中から迫られていた。倫太郎は客の応対で話を聞くことができなかったが、雪と鮮血と泥にまみれた桜田門前は凄惨な有様だったという。



