「戦争の破壊のすさまじさに衝撃」日本人医師がガザで見た50日間の医療支援記録
日本人医師がガザで見た50日間の医療支援記録 (16.02.2026)

「兵器で破壊し尽くされた光景」ガザで医療支援に当たった日本人医師の50日間

むき出しの鉄筋とコンクリートの塊が散乱する建物の残骸。がれきの隙間にひしめき合う避難民のテント群。昨年12月から今年1月にかけて、パレスチナ自治区ガザで医療支援活動を行った福井県済生会病院の外科医、小杉郁子さん(57)が目の当たりにしたのは、「戦争による破壊のすさまじさ」だった。

焼け野原を想起させる街の姿

小杉さんは血管外科医として、金沢大学医学部卒業後、国内での勤務やドイツの大学病院への留学を経て、2008年から国境なき医師団(MSF)の活動に参加。これまでナイジェリア、イエメン、南スーダン、カメルーンなど紛争地帯での医療支援経験を積んできた。パレスチナでの活動は、2023年春のヨルダン川西岸地区に続き2度目となる。

今回の派遣は、イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が始まる半年前の前回訪問時とは状況が一変していた。原形をとどめない街の姿は、「戦後の日本の焼け野原を彷彿とさせる」と小杉さんは語る。しかし、復興が急ぎ足で進んでいるわけではない。2025年10月の停戦発効後も交戦は頻発し、死傷者は絶えない状況が続いている。

混乱する国境越えと破壊されたラファ

12月11日早朝、小杉さんは総勢6人のチームでヨルダンのアンマンからガザに向けて出発した。パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の境界を越えるチェックポイントは、想像以上に混乱していた。

夕方、イスラエルとガザ、エジプトの境界に位置するガザ地区南端のケレムシャローム検問所に到着。ヘルメットと防弾チョッキを着用して車に乗り、南部ラファを通過する際、小杉さんは衝撃的な光景を目撃した。

ラファの街は爆撃により全ての建物が破壊されていた。かつて畑や草原、平らな地面だったとみられる場所には、大きな砂の山と谷が無数に形成され、地形そのものが変貌を遂げていた。

ナセル病院での医療活動

13日から、小杉さんはハンユニスにある南部最大のナセル病院での勤務を開始。この病院はイスラエル軍の攻撃の標的にもなった施設で、宿舎から病院までの20~30分の道のりには、避難者のテントがぎっしりと立ち並んでいた。

停戦合意後は物流が少し回復し、露店には野菜や果物が並び、バナナも見かけるようになった。しかし、多くの人々は仕事や家畜、蓄えを失い、必要なものを買うお金がないのが現実だった。

国際派遣スタッフの同僚の一人は北部の状況について「その光景はヒロシマと同じだと一瞬で思った。まるで現実のものと思えなくて、すぐには受け入れることができなかった」と語っている。

小杉さん自身はまだガザ北部を直接目にしていないが、「今いるハンユニス付近でさえ、建物の損傷具合から、兵器の破壊力がいかに恐ろしいかが分かる」と述べている。

現地スタッフとの交流と苦難の共有

正午過ぎ、手術室のパレスチナ人看護師たちは小杉さんにパン、豆のコロッケ「ファラフェル」、チーズなどを分けてくれた。看護師たちは「停戦合意前は本当に食べ物がなかった。パンは手に入らなかったし、レンズ豆くらいしか食べていなかった」と語る。

以前より食事は改善したものの、1日3食は食べていないようだった。それでも一緒に食べようと言ってくれる現地スタッフの気持ちに、小杉さんは深い尊さを感じたという。

ある看護師の男性は息子を亡くしていた。子どもたちがサッカーをしていたところを爆撃され、全員即死だったという。彼はその時に撮影したビデオを見せながら、「それでも自分にはアッラーがいる、神がいる。諦めない」と強い心の内を明かした。

小杉さんが日本から来たと伝えると、彼は「僕たち(パレスチナと日本)は戦争で同じ経験をしたよね。自分たちもいつか日本のように立ち直れると信じている」と語った。広島や長崎が原爆で壊滅したこと、日本が敗戦国であることを知っていたのである。

病院での具体的な医療任務

小杉さんの病院での任務は整形外科・形成外科(熱傷ユニット)のサポートだった。患者の半分はやけど、もう半分は開放骨折後の治癒の遅れを抱えていた。

やけどは以下の3つに分類される:

  • 熱いものをかぶってしまうような生活中の事故
  • 爆撃による火事
  • 故意的なもの

子どもの熱傷は生活環境内の事故がほとんどだった。開放骨折は銃創、爆撃、交通事故とさまざまで、患者はほとんどが男性だった。

14日以降、小杉さんは小さめの手術を1日5件ほど担当。停戦合意後は、けが人が顕著に減っているため、ほぼ全ての患者が以前に受けた傷の治療だった。状態は安定しているが、完治には至っていないケースが多かった。

戦後の日本を想起させる日常

ガザに入って小杉さんが最も驚いたのは、戦争による破壊のすさまじさだった。大人も子どもも、給水所で水を受け取って運んでいた。馬車を走らせて働いていたり、お店を営んでいたりする光景を見て、「戦後の日本はきっとこうだったんだろうな」と想像したという。

しかし、どうやって物資を仕入れ、買う人はどこから収入を得ているのか、洗濯はどうしているのかなど、日常生活を維持するための基本的なことが気にかかる日々だった。

ガザ保健当局によると、2023年10月の戦闘開始後の死者は7万人を超え、負傷者は17万人以上にのぼる。停戦後も散発的な攻撃が続く中、小杉さんは現地で患者らと向き合った約50日間の経験を日記に記録。その記録は、戦争の現実を伝える貴重な証言となっている。