長崎市長の母・鈴木智子さんが死去 被爆体験を平和活動に生かす
長崎市の鈴木史朗市長の母、鈴木智子(すずき・ともこ)さんが2月12日、がんのため死去した。92歳だった。告別式は2月15日午後2時、長崎市光町の平安社長崎斎場本館で執り行われる。喪主は夫の一郎さんが務める。
12歳で被爆 父親も元長崎市長
智子さんは、1945年8月9日の長崎原爆投下時に、わずか12歳で爆心地から約3キロの地点で被爆した。この体験は、その後の人生に深く刻まれることとなる。また、父親の田川務さんは、1951年から4期16年にわたり長崎市長を務めた人物で、1977年に79歳で死去している。智子さんは、市長の娘として、そして被爆者として、平和への強い思いを抱き続けた。
被爆80年の平和宣言に「思いを代弁」と願う
被爆から80年を迎えた昨年2025年8月9日、長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典では、息子の鈴木史朗市長が平和宣言を読み上げる様子を、智子さんは中継で見守った。その際、「被爆者の思いを代弁してくれた。これからも、被爆地の市長として平和の大切さを発信し続けてほしい」と願いを語っていた。この言葉は、自身の被爆体験と、市長としての息子の役割に対する深い期待を反映していた。
智子さんの生涯は、戦争の惨禍を直接経験し、平和の尊さを次世代に伝える重要な役割を果たした。その死は、長崎の被爆者コミュニティや平和活動関係者に深い悲しみをもたらしている。鈴木市長は、母の遺志を継ぎ、被爆地の市長として国内外に平和のメッセージを発信し続けることが期待される。