圧倒的な熱量を持つ物語を紡ぎ続けてきた作家、古川日出男さん(59)が、待望の長編小説『夏迷宮』(講談社)を刊行した。大戦下の世界を舞台に、現代と古代、神話と現実が時空を超えて交差する意欲作である。「執筆することで、よりよい世界を切実に求めていたのかもしれない」と古川さんは語る。
戦争と平和を問う物語
「きのう第三次世界大戦が始まった」という衝撃的な一文で幕を開ける本作は、神話的世界が現代に立ち現れる壮大なスケールの物語だ。戦時下でヨーロッパとアジアの狭間を放浪する兵士・佐藤衛布(エフ)は、飢えの果てに尼僧のアマゼと戦災孤児の一行に出会う。一方、古川さんの故郷である福島県郡山市には、平安京を再現したテーマパーク「郡山ピースランド」が建設される。
「平安京を現代に書くことが、現代を別の角度から訪問することだと思った」と古川さん。パーク内のアトラクション「夏迷宮」で働くもう一人の主人公、加沙間衣葉(イハ)は巫女として、猪苗代湖に住む巨大な怪獣「イナワシロン」を呼び起こす。不老長寿のイメージも織り込みながら、永遠に続く叙事詩のような作品に仕上がった。
執筆の原動力となったのは、世界各地で勃発する国家間の紛争だ。「惑星規模で世界が戦争状態にあり、今や膨大な数の人々が死ぬか、死の予備軍にいる。嘘で固められた某大国の大統領の発言に対抗できるのは、嘘からなる小説を書くことだと思った」と古川さんは語る。
震災と記憶、そして文学
作中の「歴史になんぞ人類は学んだりしないのだ」という言葉が印象的だ。東日本大震災の記憶を見つめ続けてきた作家だからこそ、この言葉は重く響く。「震災発生後数年間は『震災を忘れてはいけない』という怒りの声や報道が多かった。しかし、自分は『忘れられなかったら耐えられるわけがない』と思った。忘れる部分は忘れなければ、今日に集中できず、明日も信じられない。それが震災から学んだことでもあった」と振り返る。
古川さんは1998年のデビュー以来、執筆と並行して朗読を軸とした表現活動を続け、音楽家や舞踊家など他ジャンルの表現者とのライブパフォーマンスも行ってきた。東日本大震災後は、自身が脚本・演出を手がける朗読劇「銀河鉄道の夜」のプロジェクトにも取り組んでいる。また、詩の分野でも精力的に活動し、小説は「草食獣」、詩は「肉食獣」のように準備すると語る。「自分の中では完全に分けている。小説は何度も反すうして一部を使う。詩は猛禽類のように言葉をバンバン拾って作っていく」と説明する。
兄の死がもたらしたもの
近年、古川さんの周辺には大きな変化が生じた。その一つが、長年の執筆を支え、故郷で家業のシイタケ生産業を継いだ兄の死だった。『夏迷宮』の完成を楽しみにしていた兄は、脱稿の数日前の昨年8月にがんで亡くなった。これまで実家に送った著書は、兄へのインタビューを含む被災地のノンフィクション『ゼロエフ』一冊だけだった。四十九日の法要で帰省し、兄の書斎に入ると、本棚には自身の著作が並んでいた。「立派な本棚に僕の本と掲載誌があって……号泣しました。作家としての頑張りをもっと見せたかった」と語る。
「小説の完成を楽しみにしている」という兄からの最期のメッセージは、今もスマートフォンに残っている。その言葉が、古川さんの執筆の大きな支えとなっている。
古川日出男さんは1966年、福島県郡山市生まれ。『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞、読売文学賞を受賞。現代語訳を手がけた『平家物語』はアニメ化もされた。



