静謐なホテルと国の岐路を描く物語
千早茜による『スモーキングルーム』第144回が公開された。この作品では、煙と呼ばれる人物と女性客との微妙な交流を通じて、ホテルの静かな世界が浮き彫りにされている。
ホテルでの繊細なやり取り
女性がくすくすと笑うと、煙はほほえみ以外の反応を示さず、よく躾けられた犬のように傍らに佇んでいる。やがて女性が笑い止み、湖に目を遣ると、煙は「またのご来訪を心よりお待ちしております」と胸に手を当てて応じた。
女性が「ここは変わらずあるかしら」と問いかけ、煙が「そう努めます」と答えると、女性はシガレットケースをぱちんと閉じてテーブルに置き、飲み物を手に立ち上がった。煙が「お客様」と静かに声をかけると、女性は「次に来るまで禁煙するわ。預かっておいて」と悪戯っぽく笑い、「外は冷えるわね」と言いながら歩きだした。
煙はシガレットケースを内ポケットにしまい、「承りました」と微笑んで、「暖炉の前の席をご用意します」と室内へのガラス戸を開けた。透明な戸がゆっくりと閉じ、辺りが無音になるまで、金ボタンはテラス脇で立ち尽くしていた。
ホテルの静寂と外部の騒乱
シャンデリアの煌めきがにじむ暖かいホテルは、静かに燃える黄金の炎のようだった。煙の居場所はここしかない。金ボタンは、怒りと混乱に満ちた街の騒乱から、どうしたらこの静謐な贅沢さを守れるだろうと考えた。
四肢が凍りつくように寒く乾燥しているのに、雪の少ない奇妙な冬が続いていた。そして、突如として春が訪れ、葡萄畑は芽吹き、果樹は花を咲かせ、ぬるい陽気に包まれた。杏の花は一斉に咲き、むせ返るような甘い香りを放った。
老庭師は「こういう早すぎる春は良くない。季節を狂わせる」と渋い顔をした。この季節の異常さが、物語全体に不穏な影を落としている。
政治的な緊張と国民投票の中止
自国の独立を表明するための国民投票は行われなかった。発表があってすぐに、隣国の総統が激昂し、国境を軍によって遮断されたからである。国民投票を中止にしなければ進軍すると最後通牒を突きつけられ、まだ若い首相は隣国との軍事衝突を避ける決断を取った。
晩餐時、ラジオから流れていた優美なワルツ曲が途絶え、首相の最後の声明が国民に伝えられた。首相は、隣国の指名の元に次の首相が決まったこと、自国が暴力に屈したことなどを沈鬱な声で語り、国民に別れを告げた。
この政治的な緊張が、ホテルの静かな情景と対照をなすことで、物語に深い層が加えられている。千早茜は、個人の小さな世界と国家の大きな運命を巧みに織り交ぜ、読者に思索を促す作品を生み出した。