記憶なくとも核廃絶を訴え続ける 1歳で被爆の川副さん
記憶なくとも核廃絶を訴え続ける 1歳で被爆の川副さん

核拡散防止条約(NPT)再検討会議に出席するため渡米している川副忠子さん(82)=長崎市=は、1歳半のときに長崎原爆に被爆した。当時の記憶はないが、母親や叔母の証言を頼りに、被爆時の状況を語り継いでいる。「核兵器を巡る危険な状況が続いているからこそ、被爆者が語らねばならない」。強い使命感を持ち、核廃絶を訴え続けている。

ニューヨークの大学で英語で証言

川副さんは27日、ニューヨークの大学で開かれたイベントに参加し、米国の学生たちに対して英語で被爆体験を語った。「私は地球上から核兵器をなくすために、その恐ろしさを伝えていきたい」と力強く述べた。

被爆の経緯と家族の犠牲

川副さんは長崎市の爆心地から約2.5キロ離れた自宅で被爆した。この原爆で祖母を含む親族4人が亡くなった。幼少期、お盆などの機会に親戚が原爆について語り合うのを聞くのは「重い話で、嫌だった」と振り返る。

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教員としての転機

大学卒業後、小学校の教員となった川副さんは、先輩に誘われて被爆した教師たちで構成される団体に参加したことが転機となった。「今の子どもは、親や身内に被爆者がいても原爆のことを知らない」と先輩から聞き、語り継ぐ重要性に気づいた。その後、平和教育に取り組み、修学旅行生や生徒に対して被爆の実情を話すようになった。

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