安否不明者400人超のリスト、生存確認に拍手 震災日記
安否不明者400人超、生存確認に拍手 震災日記

東日本大震災の津波が石巻市の北上総合支所を飲み込んでから3日目。地域振興課補佐だった今野照夫さんは、北上中学校の体育館で朝を迎えた。体育館の窓は一枚も割れていなかったが、寒さは厳しく、避難住民は配られた毛布にくるまり、ブルーシートの上で横になっていた。

同僚の生存に安堵

災害対策支部には負傷者の救助要請が絶え間なく寄せられていた。その中に、津波発生時に支所に一緒にいた同僚、牧野輝義さんの情報が含まれていた。牧野さんは足を骨折したものの、岸で一晩を過ごし、高台にある長観寺まで自力で歩いてたどり着いたという。

「牧野、生きてたか」。今野さんはその知らせにほっとした。支所にいた57人のうち、津波から生還できたのは今野さん、牧野さん、そして助けられた小学生の男児のわずか3人だけだった。

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避難所の壁に貼られたリスト

北上中の体育館の入り口近くの壁には、支所長の佐藤直彦さんの指示でA3の紙が貼り出された。避難してきた住民たちが、安否不明の家族や知人の名前を鉛筆で書き込んでいく。順不同で、地区ごとの整理もされていない人名の羅列は、たちまち400人を超えた。

遺体の身元が判明すると、今野さんたちがリストから名前を探し出し、線を引いて消していく。携帯電話などの通信手段が途絶しているため、連絡が取れないだけの人も少なくない。そんな中、本人がひょっこりと体育館に現れることもあった。

「生きてたあ」「よかった」。生存者に線が引かれる瞬間、誰からともなくささやかな拍手が湧き起こった。その拍手は、避難所の中で希望と安堵をもたらす小さな灯りとなった。

物資搬送とさらなる奮闘

午前中、今野さんは旅館「白浜荘」に支援物資を届けた後、長観寺に立ち寄った。牧野さんは庫裏で横になっていた。「歩けっか?」と尋ねると、「いや、無理だべな」と顔をしかめた。寺には搬送を待つ負傷者が他にも大勢いた。今野さんは「もう少し頑張れ」と励ますと、牧野さんは「大丈夫、俺はいつでもいいよ。足のけがで死ぬことはないから」と答えた。

今野さんは、アスファルトがめくれ、所々陥没した国道398号を歩いて水を運び続けた。北上中の生徒約20人が手伝い、被災地の最前線での災害対応はまだまだ続いていた。

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