暗がりに色とりどりの光が揺れ、神秘的な音楽が流れる。名古屋・栄のマジックバー「手品師」では、女性客の手のひらに、テーブルを挟んで向き合ったマジシャンが7枚のコインを1枚ずつ置いてみせる。女性客が手を閉じ、再び開くと、そこには6枚だけ。もう1枚はマジシャンの手にあった。客たちはあんぐり口を開けたり、目を丸くしたりして、理解が追いつかない。このトリックは、実際は最初からマジシャンが7枚目を持ったままという単純なものだが、握る手の方に集中した客たちは気づかない。これがミスディレクション、視線や注意をそらし、仕掛けに目を向けさせない技だ。
人間の注意力の限界
「人間の注意力なんてそんなものです」。この道20年のマジシャンでバーを経営する錦龍之介(50)は、しみじみと言う。詐欺の手口にも通じるのではないか。ヒトの注意機能を研究する京都大教授の熊田孝恒(63)を訪ねた。熊田は「マジックと詐欺の関係を考えるのは初めて」と笑みを浮かべ、淡々と続けた。「共通点はある」。詐欺師は「口座が凍結される」といった衝撃的な言葉や難解な法律用語を繰り出し、相手の注意を引きつける。その間に追い込み、金銭の支払いを促す。「ヒトの脳は一つのものに注意を向け、特定の情報だけを処理するようにできている」。だから、だまされるのだ。
進化が追いつかない注意力
狩猟生活の時代、ヒトにとって目の前の1頭、1匹に集中するのが効率的だった。社会は発展したが、「ヒトの注意力は進化が追いついていない」。当時から格段に増えた情報量をまともに向き合おうとしても、脳が処理しきれない。翻弄されるのは注意力だけではない。熊田は「記憶の上書き」を挙げる。手品師の店内で、マジシャンが「よく交ぜたカードがあります」と自信ありげに語り、客はうんうんとうなずく。「さっき見ていただきましたよね」と畳みかけられると、実際に交ぜるのを見ていなくても記憶が上書きされ、事実のように信じ込んでしまう。それは詐欺のやり口にもみられる。
自信があるほど欺かれやすい
マジックが好きな人、仕掛けを見破ろうと意気込む人。さまざまな客と接してきた錦は「トリックを知ってるよ、という人ほど信じさせやすい」とも明かす。より高度なマジックで相手の心をつかんだり、別のトリックで予想を裏切ったりできるからだ。「信頼させるのが重要。信頼してくれる人をだますのは簡単」。詐欺も同じかもしれない。2018年の警察庁の調査では、うその電話による詐欺被害に遭った人の78%が「自分はだまされないと思っていた」と答えた。詐欺を見破った人では56%。自信があるほど欺かれやすい現実がうかがえる。
安堵が詐欺の本質
マジシャンや詐欺師に惑わされたとき、ヒトは何を感じているのか。熊田の答えは「安堵」だ。マジックでは、消えたはずのコインが最後に現れ、混乱していた客の緊張を解く。詐欺師は「金を振り込めば解決」といった安心材料を提示する。そして安堵が生まれる。熊田はそこに詐欺の本質を見いだす。「理解不能な状況に陥ったときに救いを示されたら、何の疑問もなく飛び付いてしまうのでしょう」。しゃべり一つで、よどみなく。プロは自然に隙を突いてくる。



