戦争の記憶 朝鮮出身で特攻隊員の伯父「写真でしか会えないのはつらい」 慰霊祭に遺族が参列
太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった旧陸軍特攻隊員を追悼する恒例の慰霊祭が3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で営まれた。遺族や戦友会関係者ら約700人が集まる中、朝鮮出身の特攻隊員、大河正明(朝鮮名・朴東薫)さんの遺族も韓国やカナダから参列した。主催する知覧特攻慰霊顕彰会によると、朝鮮出身隊員の遺族の参列は二十数年ぶりとなる。
慰霊祭は72回目。遺族を代表して愛知県飛島村出身の特攻隊員、久野正信さんの長男、正憲さん(86)=同県東郷町=があいさつした。久野さんが出撃前、幼かった正憲さんにも読めるよう片仮名で手紙を書いてくれた逸話を紹介し、「隊員の犠牲があったことを忘れることなく、命の尊さを語り継いでいくことを誓う」と述べた。
沖縄戦で旧陸軍の特攻は1945年3~7月に行われ、17~32歳の1036人が亡くなった。このうち439人が知覧飛行場から出撃したとされる。
「伯父が感じた苦痛をより深く心に刻んだ」
慰霊祭の前、会場横の知覧特攻平和会館で遺影を見つめる女性がいた。「祖国ではなく日本の戦争のために亡くなった伯父に、写真でしか会えないのはつらい」。カナダ西部カルガリー在住の朴琪娟さん(64)。17歳だった1945年3月、沖縄へと出撃した大河正明さんのめいだ。
知覧に来たのは初めて。遺影そのものは何度も見たことがあるが、感情が高ぶった。「伯父が亡くなった場所に近づくほど、伯父の存在を感じられる」。夫の李度淵さん(71)や長男の李秉運さん(35)、ソウルに住む母の趙恵卿さん(91)とともに、遺筆なども見て回った。
ソウルの実家では、幼い伯父と父が一緒にほほ笑む写真を見て育った。両親からは、伯父が飛行機乗りに憧れて日本の軍隊に入ったと聞いていた。伯父を取り上げた韓国のテレビ番組を見たこともある。
大学卒業後に親族が住むカナダに移り住み、看護師などの仕事をしながら2人の子どもを育ててきた。80年代後半~90年代半ば、両親は慰霊祭に何度か参列し、父亡き後には妹も訪れていた。念願の訪問だった。
この日は他の遺族とともに焼香、献花した。「伯父が感じた苦痛をより深く心に刻んだ」と明かす。
大河さんは、日本の植民地期、朝鮮半島北東部(現北朝鮮)にあった工業学校で日本人とともに学び、陸軍少年飛行兵に志願した。同期入隊で10カ月の訓練をともにした上野辰熊さん(98)=埼玉県新座市=が、当時の姿を覚えていた。「日本人にばかにされたくないから軍人になった」と話していたことも。
そんな伯父の言葉を伝え聞いた朴さんは「伯父の置かれた状況、憤り、植民地化された祖国の未来に対する感情を表していると思う」と受け止め、胸中に思いをはせた。「夢を追いかけながら、愛する家族のため自分を犠牲にし、日本の軍隊に行かざるを得なかったのではないか。でも本当の思いは誰にも分からない」
伯父のことを次世代に伝える責任も感じている。一緒に来た秉運さんに「悲しい歴史を少しでも身近に感じてもらえたら」と期待すると、秉運さんは「最愛の人を亡くしてしまう戦争の恐ろしさをあらためて感じた。こうした歴史を平和のための教訓としなくては」と語った。(曽布川剛)
戦後80年、朝鮮出身特攻隊員の遺族を訪ねて
戦後80年の昨年、中日新聞社は朝鮮出身の特攻隊員、木村正碩(せいせき)(朝鮮名・朴正碩)さんの足跡をたどる連載「半島の特攻兵」で、韓国・釜山に住む木村さんの遺族に思いを聞いた。知覧特攻慰霊顕彰会は木村さんの遺族に慰霊祭の案内を送ったが、返事はなく、この日の参加もなかった。



