世界的クレーンメーカーとして知られるタダノ(高松市)の元社長で、日本初の油圧式トラッククレーンの開発に尽力した多田野弘(ただの・ひろし)さんが5日、老衰のため死去した。105歳だった。葬儀は近親者のみで執り行われ、喪主は長男の宏一さんが務めた。
戦後間もない創業から技術革新へ
多田野さんは1920(大正9)年、高松市に生まれた。父の益雄さんらと共に、1948年にタダノの前身となる多田野鉄工所を設立。創業当初は溶接や製缶などの技術を磨き、1955年には日本初となる油圧式トラッククレーンの開発に成功した。従来の機械式クレーンと比較して操作性と安全性が大幅に向上し、全国から注文が殺到したという。
社長就任と海外展開への道
1963年に社長に就任すると、約16年間にわたり経営を指揮。製品の高性能化や海外市場への進出を積極的に推進した。その後も会長や相談役、名誉顧問などの要職を歴任し、同社を世界的な建設用クレーンメーカーへと成長させる基盤を築き上げた。
また、香川県公安委員長や県体育協会会長などの公職も務め、1990年には長年の功績が認められ、勲四等旭日小綬章を受章した。
戦争体験と技術者としての原点
多田野さんは西野田職工学校(現・大阪府立西野田工科高)を卒業後、横須賀航空隊に入隊。旧海軍の整備兵として太平洋戦争を経験した。この経験については生前、折に触れてメディアなどで語っていた。
タダノのその後と技術の継承
タダノは現在、建設用クレーンで世界展開する東証プライム上場企業。1991年には南米チリ・イースター島でのモアイ像修復事業に携わり、2000年代には奈良県明日香村の高松塚古墳の石室に描かれた壁画の保存・修復のための解体作業にも同社の技術が活用されるなど、高い技術力で知られている。



