「兄上」
まだ何かあるのか、と首を回す。お役が得られたとしても、多少役料がつく程度であって、取り立てて余裕が出るわけではない。とまれ越後屋がどういうところであるかはわからないが、ともかく二本の反物を送ってやればいいのだろう。
「あの、ちゅん太の餌ですが」
「ああ、おれの部屋にある。じゃあな、あいつを頼むぞ」
倫太郎が手を振ると、「お任せください」と、清乃が声を張った。
ようやく木戸を出て、家臣の長屋が並ぶ通りを足早に行く。
町は、まだ早朝のためか、往来はまばらだった。朝食の支度の時分であろうか、家々の煙出しから、白煙が細く立ち上っていくのが見えた。
倫太郎は鼻をひくつかせる。
焼き魚の臭いがどこからか漂ってくる。朝餉はたっぷり食ったはずなのに、もう腹が空いてきた。
どうするか。懐に弁当がある。握り飯であろうが、それを食いながら歩くのは、武士としてあるまじき行為だ。それは出来ない。
それよりなにより、倫太郎はすでに決めていることがある。
程ヶ谷宿の名物である牡丹餅を食うのだ。
ただし、その牡丹餅は、宿場と宿場の間に設けられた立場の茶屋で売られている。
立場というのは、旅人や人足、馬などの休憩場所だ。
そのため、程ヶ谷宿から次の宿場である戸塚宿へと街道を少し上るので、江戸とは逆方向になる。が、せっかくの道中、楽しまねば損だ。
もっともらしい言い訳をするならば、餅は素早く食べられ、腹持ちがよく、旅人にはうってつけの食べ物なのだ。
事実、東海道には、多くの名物餅がある。米饅頭、たまごもち、安倍川餅、姥ヶ餅等々だ。
それらもいつか食してみたいと思うが、此度の旅は江戸だ。母の時枝がいうように男の足であれば、一日で到着してしまう。
だが、しかし。
それでも旅は旅。脇目も振らずただただ歩くだけではあまりに興醒めだ。
なので、倫太郎は川崎宿で一泊しようと思っていた。
川崎まではおおよそ八里(約三十二キロ)。いい具合の距離だ。
それに、叔父の藤左衛門が、品川宿まで迎えに来てくれることになっていた。



