石田三成の顔を復元、細面で彫り浅い風貌が明らかに
石田三成の顔復元、細面で彫り浅い風貌が判明

石田三成の顔を復元、細面で彫り浅い風貌が明らかに

関ヶ原の戦い(1600年)で西軍を率いた武将、石田三成(1560~1600年)のものと伝わる頭骨のレプリカを基に、佐賀大学の研究者らが顔を復元した。その結果、やや細面で、肖像画やドラマで描かれるイメージ通り、あっさりとした風貌だったことが明らかになった。

頭骨レプリカの由来と復元手法

三成は関ヶ原で敗れた後、斬首され、遺体は京都市の大徳寺三玄院の墓地に葬られたと伝わる。1907年(明治40年)、民間の調査で寺院の墓地が発掘された際、人骨と小刀が発見された。斬首された武将は、首と胴に小刀を刺し、再びつなぎ合わせて埋葬する習わしがあったことから、この人骨は三成のものと考えられている。

その後、骨は埋め戻され、遺骨を鑑定した解剖学者の足立文太郎・京都帝国大(現・京都大学)教授の指示で、頭骨の石膏レプリカが作成された。このレプリカは現在、京都大学総合博物館に保管されている。

復顔作業は、古人骨の研究が専門の川久保善智・佐賀大学助教(形質人類学)らが行った。京都大学総合博物館に保管されているレプリカを3Dスキャナーで計測して精査し、肉付けは現代日本人の骨から皮膚までの厚さなどのデータを参考にして実施された。

復元された顔の特徴と歴史的意義

頭骨は顔が長く、凹凸の少ない形をしていた。このタイプは、顔立ちが薄い傾向にあり、ひげや眉毛は薄く再現された。損傷していた鼻周辺は、骨格から皮膚の形状を推定する新手法を使って造形された。

三成の顔を巡っては、子孫の杉山家に伝わる肖像画が知られている。顎が細くとがり、口と顎、頬にひげをうっすらと生やした顔立ちをしており、今回復顔された彫りの浅い顔つきとよく似ていたことが確認された。

川久保助教は「骨の形から想像していた通りの顔つきになった。レプリカからはDNA分析はできないだけに、形態学的アプローチから実像に迫れた意義は大きい」と話している。この研究は、歴史的人物の実像を科学的に解明する新たな手法として注目を集めている。