埼玉県川越市宮下町にある氷川神社の本殿が、国の重要文化財に指定される見通しとなりました。文化審議会が文部科学相に対して指定を答申したものです。川越まつりや縁結びのご利益で知られる同神社ですが、実は社殿そのものも見どころとなっています。建物を覆い尽くすように施された無彩色の素木(しらき)による精緻な彫刻が、「関東における素木の装飾社殿の極致」と高く評価されました。
本殿の建築的特徴
氷川神社は旧川越城下の総鎮守として知られています。本殿は1842年(天保13年)から1870年(明治3年)にかけて造営されました。総ケヤキの入り母屋造りで、屋根は瓦棒銅板ぶき、正面には三角形の千鳥破風が付いています。前方にせり出す向拝は丸く盛り上がる唐破風造りとなっています。
彫刻の壮観さ
最大の特徴は、壁面や柱、梁など至る所を飾る彫刻の壮観ぶりです。見た目の優れた木材を使用し、巧みな技術で繊細かつ立体感あふれる造形を生み出しています。壁面下部の腰羽目の彫り物は、当時の川越氷川祭で城下町の10町が出した山車に載せられる人形が題材となっています。
日本神話の「天岩戸開き」を題材にした箇所では、天ノ鈿女命が舞い、手力男命がこじ開けた岩戸から光があふれる場面が描かれています。その他にも日枝神社の山王(猿)、秀郷(俵藤太)、関羽と周倉などが社殿を囲んでいます。
源氏の逸話も
壁面上部の大羽目の彫り物は、藩主の家系にちなみ源氏の逸話が題材です。社殿奥の北側には、源頼朝が鶴岡八幡宮で鶴を放つ放生会の様子が三枚一組で大きく刻まれています。
彫刻を手がけた職人たち
彫り物を手がけたのは、江戸彫りの名門である嶋村家の嶋村源蔵(俊表)らです。熊谷出身の飯田岩次郎も一部を担当しました。大工棟梁は川越藩お抱え大工で、川越城本丸御殿の造営にも携わった印藤捨五郎と桑村三右衛門でした。
工費は氏子や当時の藩主である松平斉典らが寄進しました。市文化財保護課の担当者は、山車にちなんだ彫刻について「祭と神社、城下町との絆を感じ取れる」と解説しています。
川越まつりとの関わり
川越まつりは江戸時代から続く小江戸川越の風物詩で、「川越氷川祭の山車行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。山田禎久宮司(57)は「お祭りと本殿は密接に関わっていて、ともに国から高い評価を得たことに大きな意味がある。襟を正し、守りつないでいきたい」と気を引き締めました。
多くの観光客が訪れる神社ですが、本殿は垣の中にあり普段は間近で見ることができません。今後は公開の機会を増やすことを検討しているといいます。山田宮司は「市内外、国内外を問わず、川越の深く長い歴史や伝統、心意気、技術を伝えていきたい」と話しました。
後日、官報での告示を経て正式に指定されます。県内の国宝・重文は82件、うち建造物は30件となります。



