防災報道の新たな挑戦:「情報伝達」から「人を動かす」報道へ
2026年4月6日、宮城県気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館では、折り重なった車の残骸を前に、記者たちが津波の高さと威力を学びました。災害の教訓を自分ごととして捉え、備えや命を守る行動につなげるにはどうすればよいのか。この問いを胸に、全国の地方紙や放送局で構成される「311メディアネット」が、2月に仙台市内で記者向けの防災ワークショップ「むすび塾」を開催しました。
正常性バイアスと「二人称の防災」の重要性
ワークショップの講師を務めたのは、防災教育の第一人者である東京大学大学院の片田敏孝特任教授です。片田教授は長年、岩手県釜石市などで防災教育を担い、東日本大震災では市内の大半の小中学生が津波から逃れた実績で知られています。しかし、津波警報後に逃げずに命を失った例も多く、記者たちからは防災報道で「逃げる」行動を促す難しさについての声が相次ぎました。
片田教授はまず、危険が迫っていても無意識に事態を過小評価する心理「正常性バイアス」について説明しました。「正常性バイアスは心穏やかに生きるために必要な感覚ですが、災害時には『自分だけは大丈夫』と思い、逃げ遅れる原因になり得ます」と指摘。その上で、このバイアスを否定せず、乗り越えて逃げる社会をどう築くかを考えるよう呼びかけました。
さらに、人が逃げない要因として「大切な存在」を挙げました。釜石市では、津波で亡くなった人の中に、子どもが高台に逃げたと知らずに捜し続けた母親がいた例を紹介。「わが身の危険を感じた時、人は間違いなく大切な人のことを考えます。その人を置いて逃げられないのです」と語りました。
片田教授は、一人称の「私」の危機感をあおったり、三人称の被害を訴えたりするだけでは人は動きにくいと主張。防災をわが事と捉えてもらうには、「あなた」と「大切な人」を結びつけて訴える「二人称の防災」が重要だと述べました。「自分が逃げることは、自分を大切に思う人の命を守ることだと理解したとき、初めて人は逃げる行動を取ります」と解説しました。
各地の実践例:ペットや家族を切り口に
参加した記者たちは、各紙や各地の「人を動かす防災の仕掛け」を報告し合いました。
- 新潟日報の鷲尾弥咲記者(24)は、愛犬家向けのマルシェでペットの防災グッズブースを設け、同行避難のパネル展示を行った事例を紹介。「自分のためには後回しになりがちでも、愛するペットのためという切り口で防災への関心を引いていました」と話しました。
- 神戸新聞の田中宏樹記者(38)は、阪神大震災の被災地で小学生の親子が震災遺構を巡るスタンプラリーを実施していると説明。
- 河北新報の金城さき記者(23)は、中学生が家族の被災体験を取材して記事を書く取り組みを報告。「親も震災当時を思い出し、避難訓練を通じて初めて避難先を訪ねる機会にもなっています」と意義を強調しました。
また、高齢者への防災伝達の難しさについての質問には、片田教授が高知県黒潮町の例を挙げて応えました。地域で個別避難計画を考え、中学生らが声をかけ続けた結果、お年寄りが前向きな姿勢に変わったという事例を紹介し、「説得ではなく、人が自ら変わるような納得を生むコミュニケーションが大切です」と述べました。
遺族の声から学ぶ「大切な人を思うこと」
ワークショップでは、宮城県石巻市で幼稚園バスが津波と火災に巻き込まれ、園児5人が犠牲になった事故の遺族、佐藤美香さん(51)の話も共有されました。佐藤さんの娘はバスの中で友達を励まし続け、3日後に黒焦げで発見されたという悲劇です。
記者の一人は、「もし自分の娘だったら」と考え、胸が締め付けられる思いを語りました。佐藤さんの「高台の園に待機していれば助かった」「幼稚園を選んだことなど、全て後悔しかない」という言葉に、やるせなさを覚えたといいます。この経験から、片田教授が説く「大切な人を思うこと」が防災を自分ごとにする鍵だと実感し、何か行動を起こさなければとの気持ちが湧いたと振り返りました。
東日本大震災から15年が経過し、防災報道は新たな段階を迎えています。南海トラフ地震では三重県で最大約5万人の犠牲が想定されるなど、課題は山積みです。記者たちは、読者に「備え」につなげる報道を追求し続ける決意を固めました。釜石市の中学生が残した「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」というメッセージのように、防災情報の受け手の意識を変える努力が求められています。



