現場からあこがれの先輩、脱線事故が奪った ためらう先に進んだ遺族ケアの道
現場からあこがれの先輩、脱線事故が奪った 遺族ケアの道

中高一貫校の3学年上で、同じ柔道部の先輩だった下浦善弘さんは、前中夕紀さんにとってあこがれの存在だった。勉強ができ、柔道も強い。常に周りに気を配り、困っている部員がいれば、さりげなく手を差し伸べる。「人としてお手本のよう」。前中さん(38)は、ずっとそう思っていた。

あの事故が起きた日

あの事故が起きたのは高校3年の春。2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)で快速電車が脱線して線路脇のマンションに突っ込み、107人が死亡した。前中さんは、災害看護サークルの学生たちと話す日々を送っていた。

「下浦先輩が亡くなったらしい」。数日後、登校中に友人から知らされた。頭の中が真っ白になり、教室で机に突っ伏して泣いた。

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先輩の姿と遺族ケアへの決意

下浦さんはそのとき、20歳で大学3年生。公務員をめざし、試験勉強をしていたという。通夜で久しぶりに対面した先輩は穏やかな顔で、実感がわかなかった。

「亡くなるなんて、1ミリも思っていなかった」。あすがいきなり断たれることを痛感し、これからの人生で、自分はどのような道を歩むべきか考えた。

事故や災害で危険にさらされる人々を救いたい。そんな思いから、前中さんは遺族ケアの道に進むことを決意した。ためらいもあったが、先輩の死が背中を押した。現在は、災害看護の専門家として活動している。

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