かつて恐怖だった行政が追い詰められた家族を救う 無国籍状態解消後の悲劇
恐怖の行政が家族を救うも 無国籍解消後の悲劇

追い詰められた家族を救った「恐怖の対象」

1997年の冬、三重県内のアパートで特別な家族の新生活が始まった。生まれたばかりで無国籍状態の松田謙さん(享年28、仮名)と、在留資格のないフィリピン人の母親ジュリアさん(55、仮名)、日本人の父親忠彦さん(72、仮名)の一家である。

家庭内での教育と社会との断絶

謙さんは日本で生まれ育ちながら、一度も学校に通ったことがなかった。父親の忠彦さんは毎週土曜日、幼い息子を職場に連れて行き、社会と接触できる数少ない機会を作っていた。「どんな人にもあいさつするように教えた」という忠彦さんは、市販の教材を使って国語や算数、社会を家庭で教えていた。

取材で驚かされたのは、謙さんの遺品に記されていた文字の確かさだった。学校に通っていなかったとは思えないほど整った筆跡は、家庭内での学習の跡を物語っていた。謙さんは自分が無国籍であることを母親から聞かされ、学校へ行けないことに疑問を感じていた。「学校に行きたいな」と本音を漏らすこともあれば、「ママ、ばかだよね」と責めることもあった。

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ラジオを聞くのが好きで、お気に入りの番組に投稿して採用記念のステッカーや筆記用具をもらうこともあった。社会とのつながりを切実に求めていた様子が窺える。

追い詰められる家族の生活

謙さんが12歳のころ、母親のジュリアさんが倒れた。在留資格が切れていることを恐れ、救急車を呼ばず病院にも行かなかった結果、後に脳梗塞と診断される重症となり、寝たきり生活となった。

謙さんはおむつ交換や炊事など介護と家事全般を担い、忠彦さんが一日中働く生活が続いた。2021年9月、今度は忠彦さん自身が脳梗塞を発症。働けなくなり、月22万円ほどあった収入は途絶えた。電気とガスは止められ、食べ物もほとんどない状態に追い詰められた家族は「死ぬしかない」とまで話すようになった。

行政による意外な救いの手

忠彦さんが離れて暮らす親族に自死を示唆したことがきっかけで、2022年3月に居住地の自治体が一家の存在を把握。職員が自宅を訪れたとき、両親は「強制送還」を覚悟して身構えた。

しかし、自治体の対応は想像とはまったく異なっていた。事態を把握すると、すぐに忠彦さんだけでなく無国籍の謙さんにも人道的配慮から生活保護を適用。公営住宅も手配したのである。忠彦さんは「本当に親身になってもらった。真っ暗なトンネルの中で手探り状態だったのが、ちょっとずつ明るくなった」と当時を振り返る。恐怖の対象だった行政が、実際には保護してくれる存在だったのだ。

無国籍状態からの脱却

担当の男性職員(61)は「世間と関係を絶っている感じだった」と当時の家族を回想し、「特に謙さんを何とかしなければ」と考えたという。

無国籍状態を脱するため、職員は社会福祉法人「日本国際社会事業団(ISSJ)」にたどり着いた。ISSJが提案したのは、謙さんが「ジュリアさんの子である」という出生証明書をフィリピン領事館に提出し、出生登録を受け付ける方法だった。

まずは有効な身分証を持たないジュリアさんのパスポート取得から始まり、2023年春にようやくパスポートを取得。忠彦さんとジュリアさんが謙さんの出生時に記入しながら不法滞在発覚を恐れて提出しなかった出生届を持参し、領事館に出生登録を申請。同年冬、謙さんはフィリピン国籍を取得した。

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在留資格取得とその後の悲劇

2024年4月、謙さんとジュリアさんは職員に付き添われて名古屋出入国在留管理局に出頭。約1カ月後に1年間の在留資格が認められると、2人はその場で抱き合った。「ママ、よかったね」という謙さんの言葉に、ジュリアさんの涙は止まらなかった。

人目を気にせず街中を歩けるようになり、家族に初めて安寧が訪れたかに見えた。しかし、その1年4カ月後、謙さんは自ら命を絶った。周囲の誰もが予想しなかった結末だった。

自治体職員は謙さんに日本語教室を紹介し、社会での活躍を願って腕時計を贈るなど親身に支えてきた。取材に「正直、あまり思い出したくない」と話す職員は、忠彦さんから訃報の電話を受けたときのことを振り返り、「いろんなものを一度に与えすぎたのか…。もっと時間をかけるべきだったのだろうか」と語った。

埋め切れない心の空白

生活保護や国籍取得などの手続きが順調に進んでも、長年にわたる無国籍状態が生んだ心の空白は簡単には埋まらなかった。謙さんの死は、制度的な支援だけでは解決できない深い課題を浮き彫りにしている。

私たちはこの問いを抱えながら、同じように無国籍だった若者や支援団体の専門家への取材を続けている。行政の保護によって物理的な困難は解消されても、長年の孤立と社会からの断絶が残した心の傷は、より繊細で継続的なケアを必要とするのだ。