まじめで明るい怠け者
高校3年生の時の鈴木さん(下から3段目の右端)。中学まではそれなりに人並みの生活を送っていたが、高1の夏休み以降、急ブレーキがかかり、放浪癖が始まった。理由は自分でもよくわからない。何かモヤモヤした感じがあり、集団生活を送る学校は自分の居場所ではないと感じたのだ。
1960年代、日本は高度経済成長期を迎えた。一般家庭の所得が増え、カラーテレビ、クーラー、自動車(3C)が普及し、将来への希望と浮かれた熱気に包まれた時代だった。安保闘争や学生運動など政治的対立も激化。高校進学率が大幅上昇し、生徒らの社会的葛藤も生じた。
朝、家を出て高校まで歩いて通うけれど、裏門を通って校庭を突っ切ると、そのまま正門から出て、近くの山手駅まで行ってしまった。それから京浜東北線に乗って上野まで行く。博物館や美術館などを巡り、東京文化会館の資料室でクラシック音楽を聴きあさった。上野は知識の宝庫だった。学校には行かないけれど、好きなことに没入する「まじめで明るい怠け者」だった。
高校2年生の時、そんな私の姿を見た隣の席の女子生徒から言われた言葉が、今でも胸にとげのように刺さっている。「どうして鈴木さんはそうやって、勝手にサボっていられるのかなあ。将来のこと、考えたことないの」。遠山美枝子さん。後の1972年、連合赤軍による無残な事件で亡くなった方である。
家では、兄が英語の「プレイボーイ」誌を買って、黙って机の上に置いてくれた。せめて英語ぐらいと思ってくれたようだ。ただ、私は女性のビキニ姿に興奮し、記事に出てくるスラングを一生懸命に辞書で調べた。後年、海外のIT関係者と打ち解ける時に大いに役立ったと言えるかもしれない。
欠席続きに学校側もしびれを切らし、担任教師が家に来た。教師の説諭に対して、父親が「変わり者は放っておくしかないですよ。何か考えているのでしょう。ダメだったら何でも働かせますから」。この言葉は妙にうれしく安心したことを覚えている。
幅広い文化に興味が芽生えた時期だった。はじめてコンピューターを見たのも、高校生の時である。親戚の勤める会社に連れて行ってもらった際、だだっ広い空間に並んでいたのが、「ユニバック」の汎用コンピューターだった。しーんと静まりかえった異空間に真空管などが並び、バケモノのように感じたことを覚えている。
怠惰な生活を少し後ろめたく思う時もあり、夜明け前に起きて机に向かうこともあった。ラジオを聴いていた63年11月23日未明、ケネディ米大統領暗殺のニュースが飛び込んできて衝撃を受けた。何か漠然とした不安感に襲われ、暗い気分のまま高校生活を終えた。すぐには大学進学もせず、放浪生活を続けることになる。(IIJ会長)



