ケンブリッジ大学の春休みを利用して、オランダ・アムステルダムで「外キャバ」研究のフィールドワークを行った。外キャバとは、外国でホステスやキャバ嬢として働くことを指す。ロンドンからユーロスターで約4時間。春の陽光が降り注ぐアムステルダムでは、キラキラ輝く運河が出迎えてくれた。ファン・ゴッホ美術館やアンネ・フランクの家、王宮など観光名所が立ち並び、おしゃれなカフェやチーズ専門店も軒を連ねる。ウキウキしながら30分ほどで、指示された「寮」の住所に到着したはずだった。
意外な寮の実態
そこは一軒家が並ぶ住宅街。キャバクラの寮と聞いていたので、アパートや離れのようなシンプルな建物を想像していた。キャバ嬢が数人で身を寄せ合って生活するイメージだ。「おや、もしかして、私、だまされた……?」
外キャバの寮システム
日本人駐在員を客とする外キャバで働くのは、日本から来た日本人女性がほとんどだ。店が住まいを保証するケースは珍しくなく、シュツットガルト(ドイツ)、ホノルル、香港、日本国内でも沖縄や離島などで寮を用意している。住環境を整える背景には、フルタイムで働ける魅力的なキャバ嬢を確保する目的や、外国人の短期滞在者ではアパート契約が困難な理由がある。家賃負担が少なければ外キャバへのハードルが低くなり、異国でも気楽に来られるインセンティブとなる。
一方、苦学生キャバ嬢の多いロンドンやパリ、ワーホリキャバ嬢がひしめくオーストラリアでは、寮完備は少ない。働きたい女性が後を絶たない買い手市場のためだ。今回アムステルダムを選んだのは、この寮システムの実態を知りたかったから。Airbnbなどで1か月滞在すると30万円は下らない。研究資金が潤沢でない私にとって、寮付きは願ってもないチャンスだった。お世話になる外キャバのホステスから届いたメッセージには「寮費は月400ユーロ(約7万5000円)、給料から差し引かれます。日本人の大家さんのいる寮です」とあった。
まさかの日本人家庭にホームステイ
キャバクラの「寮」は普通の一軒家だった。恐る恐るドアのベルを鳴らす。開いたドアの向こうに、くりっとした目が特徴的な40代の女性「みな」さんが立っていた。7歳の娘「もも」ちゃんが後ろから顔をのぞかせる。キャバクラのオーナーの知り合いという夫婦が、この寮の大家さんだ。1階にはキッチンとリビングルームがあり、床やテーブルはももちゃんのおもちゃであふれていた。「キッチン勝手に使ってね。冷蔵庫も空けておいたから。洗濯機はこれねー」とみなさん。
夫婦の寝室がある2階には、夫「ヒロキー」さんの小さな書斎、押入れ、ももちゃんの部屋、風呂・シャワー・トイレ、そして「外キャバ嬢の部屋」がある。そう、これは世に言う「ホームステイ」だ。外キャバ嬢の部屋は2、3人が一緒に過ごすシェアルーム。大きな窓のある日当たりのいい広い部屋で、ケンブリッジの私の部屋より断然大きい。マットレスが二つ敷いてあり、机とイスが一つ、えもん掛けもある。部屋の隅には謎の紙袋や大きいスーツケースが残されていた。「ここにいた女の子たちが残していったり、戻ってくるまで置いていったりしたものだけど、誰の何なのかよく分からない」とヒロキーさん。
2週間は私が1人でこの部屋を使い、2週間後にもう1人が合流するという。30代も後半になってプライバシーのないシェアルームに住むのは正直キツイなぁ。相部屋の子がいい子だといいけど……と不安とストレスが募った(幸い、相部屋になったキャバ嬢はとてもステキな女性だった)。
疲れて起きた日の朝に食べたいもの
寮は「まかない付き」ではなかったはずなので、パスタなど最低限のものを作れるようスーパーで食材を購入し、時々自炊した。けれど、大家さん夫婦はランチや出勤前の食事を何度も用意してくれた。「うちで食べてるものの残りだけど、ななちゃんも食べる?」唐揚げ、イベリコ豚のおそば、しょうが焼き、ポテトサラダ、卵焼き、焼き鮭……。どう見ても“残り物”ではなかった。
私がキャバクラで働き始めてからしばらくして、夫婦は日本食のケータリングサービスのビジネスを開始した。キャバクラからも夫婦のケータリングビジネスから夜食が注文できるようになった。初めて注文したのは、お客さん4人とキャバ嬢4人がカラオケでどんちゃん騒ぎに盛り上がった日。夜も1時半を過ぎ、「おなかすいたね」と全会一致で夜食を頼むことになった。
朝4時を回った頃、帰宅した私が家のドアをそおっと開けると、ヒロキーさんが庭で煙をくゆらせていた。その腕にある数々のタトゥーが月明かりに浮かび上がっていた。「今夜、ななちゃんたちのお店にデリバリーした商品が、日本のお客さんにどう受け入れられたのか心配で、眠れなくて」「めっちゃおいしかったですよ、おにぎりもおそばも!みんな大喜びで黙々と食べちゃいました」その言葉に安心した様子で、ヒロキーさんは「おやすみ」と言って寝室へ上がっていった。
朝11時過ぎに目覚めたけれど、とにかく眠い。疲れた。リビングに下りると、みなさんがももちゃんの宿題を見てあげていた。「昨日大変だったね。遅かったでしょ? あ、酒焼け声ね。お昼ご飯、残りあるけど食べる?」白米、おみそ汁、ひき肉の炒め物、ピリ辛の明太子。「あ~、体に染みる」、私は思わずこぼした。「私も夜のお店をずっと経営してたでしょ。だからわかるのよね、疲れて、起きた日の朝に食べたいもの、食べたくないもの。こういう仕事は体が基本だからね。何を食べるかは大事なこと」
アムステルダムで1か月間のフィールドワークを終え、ケンブリッジに戻った。イギリスで暮らすようになって10年以上たつが、かつてないほど日本食をたくさん食べた生活だった。和食ブームなどで日本食が珍しくなくなったとはいえ、外キャバ嬢の胃袋を満足させる日本料理を食べられる地域は世界でもそうないだろう。こういうリトル・ジャパンもあるのか。アムステルダムで食べたおにぎりやおみそ汁の“まかない”を思い出すと、つい顔がほころんでしまう。



