福島出身男性が能登の古民家「とまっさま」を個人購入 震災の恩返しから文化継承へ
福島男性が能登古民家を個人購入 震災の恩返しから文化継承

能登の「とまっさま」を個人で買い取った福島出身男性の決断

石川県穴水町甲地区に建つ古民家「泊家(とまりけ)」は、地元住民から「とまっさま」と親しまれてきた。しかし、2024年1月に発生した能登半島地震により被災し、解体の危機に直面していた。そんな中、福島県出身の男性が個人でこの建物を購入する決断を下した。その背景には、東日本大震災で受けた支援への深い感謝と、地域の文化を次世代へ継承したいという強い思いがあった。

「二度と造れない建物をつぶすのはもったいない」

まちづくり会社「47PLANNING」の代表を務める鈴木賢治さん(43)は、福島県いわき市の出身だ。2011年の東日本大震災では津波により実家が全壊するという経験をしている。震災後は地元の飲食店主らと協力し、シャッター街に復興飲食店街を設立するなど、地域活性化の事業に取り組んできた。

鈴木さんが石川県に移住したのは、能登半島地震の約半年前。妻の転勤に伴い、能登の地に足を踏み入れた。以前からキャンプや海水浴で何度も訪れていた能登を「日本の宝」と感じ、「人が温かく、東北にも似ている」と親しみを抱いていたという。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

能登半島地震が発生すると、鈴木さんは強い使命感を抱いた。「東日本大震災の時には多くの支援を受けた。今度は自分が恩送りをする番だ」。被災直後から現地に入り、泥かきなどのボランティア活動に従事した。泊家との出会いは、会社として能登に宿泊施設を造ろうと物件を探していた際のことだった。

地域の思いが詰まった「シンボル」

泊家は築年数が長く、地域の人々から深く愛されてきた建物だ。鈴木さんはその造りや歴史だけでなく、「人の思いが集まる場所だった」という点に強く引かれた。2026年3月、鈴木さんは個人として泊家の売買契約を締結。建物の相続関係は弁護士が整理することになった。

この知らせは地域の人々に安堵をもたらした。家の近くに住む70代の女性は「ほっとした」と語る。震災時には津波も押し寄せ、海沿いの家屋が次々と解体されていった。「見ているのは、体の一部が取られるような寂しさだった」と振り返る。

甲地区では人口減少が続いている。町のデータによると、震災前の2023年12月には318人だった人口が、2026年2月末時点では281人にまで減少。かつて「甲のデパート」と呼ばれた店もなくなり、飲み物を買うには週数回の移動販売車か、公民館の自動販売機1台に頼るしかない状況だ。

過疎化と高齢化に立ち向かう地域の努力

毎月地域でイベントを開催する「穴水町甲復興団」は、震災前から続く過疎や高齢化の課題に直面している。メンバーの半分は地域外に住んでおり、団長の東井孝允さん(43)は「とまっさまは甲らしさを残すシンボルです」と強調する。

しかし東井さんは「残し方が大切です」と続ける。「まだあの風景は地域の人の日常にあります。掃除でも、草刈りでもいい。あの場所に地域の人たちが関わり、歴史をつなげることが重要なんです」。

能登半島地震では、石川県だけで約4万2000棟の建物が公費解体された。能登特有の黒瓦の景色が失われる中、泊家はかろうじて残った。泊家の子孫である中村一子さん(69)は「自費で解体する余裕はなく、役所にぎりぎりまで待ってもらいました。解体を免れたのは決して当然ではない。多くの関係者の思いが重なったからです」と語る。

次の100年へつなぐ挑戦

鈴木さんが目指すのは、泊家を国の有形文化財に登録することだ。家筋が絶えた今、「よそ者」である鈴木さんが次代への一歩を踏み出した形となる。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ

「長年残ってきた建物には意味があります。地域のエネルギーが詰まっているんです。だからこそ、次の100年へとつないでいきたい」と鈴木さんは決意を新たにする。

地域のシンボルを守り、継承していく取り組みは、単なる建物の保存を超えた意味を持つ。震災を経験した者同士の絆、地域コミュニティの再生、そして文化遺産を未来へ引き継ぐ責任――鈴木さんの挑戦は、これらの要素が交差する重要な試みとして注目されている。