「明日香法」制定のきっかけは村民の直訴、世界遺産へ前進
「明日香法」制定のきっかけは村民の直訴、世界遺産へ

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)からの勧告を受け、「飛鳥・藤原の宮都」(奈良県)が世界文化遺産登録に向けて大きく前進した。この19件の構成資産のうち15件が所在する奈良県明日香村では、村内の現状変更を厳しく制限する「明日香法」が長年にわたり遺跡を保護してきた。この法律の制定を促したのは、一人の村民による声の直訴であった。

村民の訴えが国会を動かす

「日本の心のふるさと 明日香を守るために」と題された録音テープが1970年1月、当時の佐藤栄作首相のもとに届けられた。明日香村などによると、声の主は村に住む鍼灸師の御井敬三さん(1918~71年)。彼は村の歴史風土に魅了され大阪市から移住したが、高度経済成長の波が村にも押し寄せようとしていた。危機感を覚えた御井さんは、親交のあったパナソニックホールディングスの創業者、松下幸之助氏にテープを託した。

テープの中で御井さんは「明日香の古京を逍遥すれば、誰しも日本のこの国がいかにして形成され、いかなる経路をたどってきたかを回想せずにはおられないでしょう」と、法による明日香保存を訴えた。松下氏との懇談会でこの直訴状を聞いた佐藤首相は「知らなかった。これでは総理とはいえんな」と漏らしたという。

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数か月後、超党派の国会議員が「飛鳥古京を守る議員連盟」を結成し、佐藤首相も村を視察。保存に向けた閣議決定がなされた。

飛鳥ブームと明日香法の制定

運も後押しした。1972年、村内の高松塚古墳で国内初の極彩色壁画が偶然発見され、空前の飛鳥ブームが起きた。松下氏の肝いりで飛鳥保存財団(現・古都飛鳥保存財団)が設立されるなど機運は高まり、1980年、明日香法(明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法)が施行された。

古都保存法の特例として設けられた明日香法は、24.1平方キロメートルの村の全域を特別保存地区とし、建築物の新築や増改築から木竹の伐採、屋外広告物の表示に至るまで県知事の許可を義務づけた。特に飛鳥宮跡や高松塚などの4か所、約1.3平方キロメートルは「現状の変更を厳に抑制する」とされ、開発や新たな建築物の建造はほぼ不可能となった。他の地域でも著しい現状変更は抑制された。

発掘調査の成果と過疎化の課題

発掘調査には絶好の環境となり、飛鳥宮跡では県立橿原考古学研究所などが190次を超える発掘調査を継続。飛鳥岡本宮(I期)、飛鳥板蓋宮(2期)、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮(3期)などの宮殿跡が3層構造で残っていることが明らかとなった。飛鳥京跡苑池や酒船石遺跡では、研究者も予想しなかった場所から遺構が見つかった。いずれも「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産である。

相原嘉之・奈良大教授(考古学)は「オールジャパンで保存に取り組み、時間をかけた調査ができたことが、日本の律令国家の始まりである飛鳥時代の解明につながっている。明日香法が遺跡の保存に果たした役割は大きい」と語る。

一方、特別保存地区では自宅の増改築さえ自由にできない。10年ごとに策定される計画に基づき道路や下水道などの整備は進められてきたが、人口は4977人(6月1日現在)で、1990年の7363人から約3割減少。県全体の減少率(約1割)を上回り、過疎化が進んでいる。住民からは「遺跡のために生活しているわけではない」という批判も上がる。

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近年、村は既存集落が集積する地域での住宅開発を認めるなど、遺跡の保存と村の活性化のバランスに心を砕いてきた。村の誕生から56年、7代目となる森川裕一村長は「村を挙げて歴史的風土の保存に取り組んできた結果、全村がまるごと博物館となっている。まさに世界遺産となるのにふさわしい」と述べた。