『置き配的』が問う現代のコミュニケーション:SNS蔓延する「言葉置き配」の本質
『置き配的』が問うSNSの「言葉置き配」コミュニケーション (13.02.2026)

『置き配的』が描く現代コミュニケーションの変容

福尾匠氏による新著『置き配的』(講談社)が、2026年2月に刊行された。1992年生まれの著者は、『非美学―ジル・ドゥルーズの言葉と物』で紀伊国屋じんぶん大賞を受賞した実力派だ。本書は、現代社会におけるコミュニケーションの在り方を鋭く考察する一冊として注目を集めている。

置き配の普及とSNS上の蔓延現象

2020年代に入り、物の配達において「置き配」が広がった。差出人と受取人が日時や位置、写真などのデータを共有し、物が確かに配達された事実を確認し合う仕組みだ。ここで重要なのは、物を届けるために置くのではなく、置いたという事実を持ち帰って共有するために物が運ばれる点である。不在時の手間を省く合理性から普及したこのシステムは、SNS上で「置き配的コミュニケーション」として蔓延している。

例えば、ひろゆき氏のような人物は、あらゆる炎上に首を突っ込み、自身への反論さえも養分として衆目を集める。言葉や物が単に「置かれ」、その事実を持ち帰ることで、論争を偽装する傾向が見られる。人々も同様に、論破した事実を持ち帰り、自身や自陣を守るために、ハッシュタグや引用、スクリーンショットを駆使する。

現代議論の目的化と消耗戦の全面化

現代の議論では、論理を張り巡らせ、相手の意気を削ぐことが目的化する傾向が強まっている。この手口は、ジャンル内の内輪揉めに顕著で、保守とリベラルの争いが映画や美術といった批評ジャンルの枠内で演じられるが、それは閉鎖的な共依存の島宇宙にすぎない。伝えるには、もっぱら言葉を置くだけの状態だ。

こうした消耗戦が社会で全面化しつつある。作られるあらゆるものが「コンテンツ」へと還元され、発言が自分の位置を守るための「ポジショントーク」として消費される。我々は、作ったり書いたりすることの本来の意味を見失いつつある。

沈黙交易との比較と著者の炯眼

置き配は、経済人類学で言う「沈黙交易」に似て異なる。共同体外の異人との接触を避けて行われる沈黙交易とは違い、プラットフォーム化により人類史上初めて出現した新奇かつ不気味な置き配の時代のコミュニケーションが問われる。著者の炯眼によって、この問いの端緒が拓かれたばかりである。

本書は、作ることと書くことを通じて、置き配的なものへと回収されない空間をいかに築きうるのかを、同時代を生き抜く私たち自身に静かにかつ鋭く問いかける。価格は2310円。

読書委員プロフィル:奥野克巳教授

本書の解説を担当するのは、人類学者・立教大学教授の奥野克巳氏だ。1962年生まれで、ボルネオ島に暮らす先住民・プナンのもとでフィールドワークを続けている。著書に『絡まり合う生命』などがあり、現代社会の深層を読み解く視点を提供している。