牢獄の五年、無実を訴えるお粂の静かな怒り
「勝手なことをお言いじゃないよ。あんたに、あたしのなにがわかる」
お粂はなおも、剣呑な声を放る。その言葉は、五年もの間、牢獄に閉じ込められた女性の深い憤りを表していた。
惣十郎の応えとお粂の反論
「わからねぇさ。てめぇのことだってはっきりとはわからねぇのだ、他人様の本心なぞわかるはずもないさ。それを万事わかったふうに語るほど、俺は愚かじゃねぇからな。ただ、わかりてぇとは思ってる。この一件のことをな。そのために努めてンだ」
惣十郎が語るのを、お粂はおとなしく聞いていた。まだ筆を執る気配はない。隣の崎岡が退屈そうに、剃り残した顎鬚を引き抜いているのが目に入る。
五年の歳月と失われたもの
「あたしはここに五年も入れられてる。捕まったとき、いかに無実だと訴えても誰も聞いてくれなかった。牢に入れられたがために、リュクトポムプを使った品を造れなかった。康佑をまともに供養することも、彼の名を世に知らしめることもできなかった。その上、会うことも叶わないままに弓浜清佑が死んだ。あんたは、そのことをどう思ってるんだい。一度きりしかない人生の大切な年月を奪ったことを。あたしの身近にあった大事な人たちに肩身の狭い思いをさせたことを。あんた方役人は、どう受け止めてンだい」
ひどく静かな声だった。それがより、惣十郎の胸を締め上げた。お粂の言葉は、五年間の無実の苦しみと、失われた機会の重みを如実に物語っていた。
正義の相対性と自己欺瞞
「あんたは、この一件をわかろうと努めてる、と言ったね。それはあんたの正義なんだろう。そうすればあんたの気持ちが収まるんだろう。その正義と、五年前にあたしを捕らえた同心の正義と、なにが違うんだい。どっちもさ、自分のことしか考えてないのは同じなんだよ。自分の正しさを証すために、相手のことなぞお構いなしに躍起になってるだけなんだ」
正義という言葉に囚われてはならぬと、惣十郎は肝に銘じてきた。人の数だけ正義はあって、ひとつひとつ形を違えている。だから己の正義ですべてを測って、これを押し通すような野暮はすまいと心に留めてきたのである。
――それだってのに、いつしかひとりよがりの行いをとってたってぇことか。
お粂の言葉に、うまく応えることができなかった。まことにそうかもしれねぇ、と己を恥じる声が頭の中に渦巻いている。身を硬くしていると、「ふっ」と小さく息を吐く音が聞こえた。
筆を執るお粂の決意
顔を上げた惣十郎の目に、墨を手にしたお粂の姿が映る。彼女は、「もう少し水を足しておくれ」と背後に控えていた牢屋同心に権高に命じ、彼が仏頂面で硯に水を差すや、久方ぶりに筆墨を手にしたとは思えぬ滑らかさで墨を磨り、やがて左手で筆を執ったのだ。
この瞬間、お粂は五年間の沈黙を破り、自らの言葉で真実を記そうとする決意を固めたように見えた。惣十郎は、その姿に無言の圧力を感じながら、自らの正義観が問われていることを痛感したのである。



