義足で滑ることを事故直後に考えた小栗大地、4年後は金メダルへ
義足で滑ることを事故直後に考えた小栗大地、4年後は金メダルへ

2026年3月のミラノ・コルティナ冬季パラリンピックで、スノーボード競技において銀メダルを獲得した小栗大地選手(45歳、SCSK所属、名古屋市名東区在住)。これまで2度のパラリンピックでは入賞に留まり、表彰台にあと一歩届かない悔しさを味わってきました。その雪辱を果たした彼に、事故から13年、義足での生活を経て、現在の心境と今後の目標について詳しく聞きました。

スノーボードとの出会い

小栗選手は名古屋市で生まれ育ちました。スノーボードを始めたのは小学5年生の時で、家族と近くのゲレンデで滑ったのがきっかけです。最初は転んでばかりでしたが、滑れるようになるにつれて楽しさを感じるようになりました。中学3年生の時には友人とバスツアーでスキー場に出かけたこともあります。大学生になると、車を運転して雪山へ行くようになりました。音楽バンドのサークルでギターを弾いていましたが、才能がないと感じて1年ほどで辞め、「やはりこれだ」と思い、スノーボードを競技として本格的に始めました。25歳でプロのアルペン選手となりましたが、当時はオリンピックは遠い存在でした。

事故と義足での再起

2013年8月、32歳の時に勤めていた板金加工会社での作業中に事故に遭い、右脚の太ももから下を失いました。小栗選手は、事故直後、救急車を待っている間に義足でスノーボードができるかどうかを考えていたと言います。知り合いに片足で滑るパラアルペン選手がいて、その人が義足で生活している姿を見ていたため、義足に対する不安は全くなかったそうです。その年の12月には早くもスキー場に滑りに行きました。当時の義足は立ち上がるとすぐに脱げてしまうなど困難もありましたが、滑るたびに楽しさが増していきました。

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パラリンピックへの挑戦

義足になってからわずか4年半で、2018年の平昌パラリンピックに出場しました。入院中にパラリンピックの種目になることを知り、再び世界を目指すことを決意しました。ワールドカップで時折表彰台に立つレベルに成長しましたが、トップとの差を痛感し、平昌大会で最高6位に終わった後、大きな変化が必要だと考えました。そこで、左足を前にしたスタンスから右足を前にするスイッチを決断しました。前足がハンドル、後ろ足がアクセルのような役割を果たすため、健常な左足を後ろにすることでスタートや加速がしやすくなると考えたのです。野球で例えるなら、右投げから左投げに変えるようなもので、初心者のように転んでばかりで、2022年の北京大会までは新しいスタンスに慣れることに専念しました。そのため、ミラノ・コルティナ大会に向けては、さらにレベルアップできると確信し、右足前のスタンスでやり遂げることを続けました。

銀メダル獲得の要因

ミラノ・コルティナ大会で銀メダルを獲得した要因について、小栗選手は「こつこつと積み重ねてきたこと」だと語ります。平昌大会では何も分からず、北京大会では「メダルが取れたらいいな」程度の気持ちでしたが、今回は様々なことを試し、「メダルが届く位置に来ている」という自信がありました。長い道のりでしたが、ようやく結果がついてきたと感じています。

練習と日常生活

シーズンオフには愛知県春日井市の屋外ジャンプ施設や山梨県の室内スキー場で練習します。自宅では地元のジムで筋力トレーニングを行い、知り合いのトレーナーに体幹を中心に指導してもらいます。チリなど南半球での合宿もあります。シーズン中はワールドカップや合宿が中心で、日本にいるのは約半分です。その際は、岐阜県郡上市の高鷲スノーパークに日帰りでよく通います。

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義足の調整と家族の支え

ゲレンデに持っていくバッグには六角レンチや部品が入っています。義足のセッティングのためです。自分の脚の長さに合わせて調整し、その後も常に微調整を続けています。膝がないため、滑りを進化させるには義足の調整が不可欠であり、健常者が脚の動きを変えることと同じだと語ります。自宅では5人の子どもの父親として、銀メダル獲得後は子どもたちとメダルをかけ合って遊びました。妻への感謝は尽きず、習い事の送迎やスケジュール管理をこなしてくれる存在です。自宅にいる時は、昼と夜の食事を妻の代わりに作り、ハンバーグや肉じゃが、ごぼうとレンコンのきんぴらなどが定番メニューです。

資金面の課題と今後の目標

アスリートとして遠征費のやりくりは大変で、特にこの4年間は厳しかったと言います。2022年の北京パラリンピックと翌年の世界選手権で日本選手がメダルを獲得できなかったため、チーム予算が削減されました。小栗選手は強化指定が最高の「A」であるため、海外遠征費は全額支給されるはずでしたが、一部を自己負担せざるを得ませんでした。5人の子どもを育てているため、パラリンピックでのメダル獲得は経済面でも大きな意味を持ちました。

4年後の金メダルへ

銀メダルが決まった直後に、次の目標を金メダルに設定しました。そのために体重を増やすことを決意し、現在68キロから、義足5キロを含めて80キロを目指します。体重が増えればトップスピードを出しやすくなるためです。技術面でもまだ伸びしろがあり、4年後は49歳ですが、少なくとも50歳までは続けるつもりです。次のパラリンピックで再びメダルを獲得できれば、さらに続ける可能性もあると語ります。

パラスポーツの普及とアジアパラ大会への期待

冬季パラスポーツは競技人口が少なく、小栗選手はメダリストとして発言の機会を活用し、パラスノーボードの普及に努めたいと考えています。現状のままでは日本チームだけでなく、パラスノーボード自体がパラリンピックから消える可能性もあると危惧しています。腕や脚を切断したり、麻痺したりする選手は限られており、対象層が小さいにもかかわらず、最も手軽な陸上競技に流れてしまうからです。2026年10月に愛知・名古屋で開催されるアジアパラ大会については、多くの人に見てもらい、障害者だけでなく健常者にもパラスポーツを知ってもらう良い機会だと期待を寄せています。自らも協力してスノーボードの宣伝に努めたいとしています。

小栗大地選手の挑戦は続きます。4年後、49歳で金メダルを目指すその姿勢に、多くの人が勇気と感動を与えられることでしょう。