雲仙・普賢岳大火砕流から35年、島原市長「仲間の命の重さ忘れられない」
雲仙・普賢岳大火砕流から35年、島原市長が追悼

長崎県の雲仙・普賢岳で1991年に発生し、43人の死者・行方不明者を出した大火砕流から、3日で35年となった。被災地の島原市では追悼行事が営まれ、市民らが犠牲者の冥福を祈った。

追悼碑前での献花

普賢岳のふもとにある同市仁田町の追悼碑前には献花所が設けられ、多くの市民が花を手向けた。災害当時、消防団員だった古川隆三郎市長は、「これからという人生を一瞬で奪われた消防団の仲間の命の重さは忘れられない。未来志向で歩みつつ、教訓を伝え続けなければならない」と語った。

遺族の思い

当時、市長として災害対応の陣頭指揮を執り、昨年8月に94歳で亡くなった鐘ヶ江管一さんの妻・保子さん(90)も訪れ、「いつも一緒でしたので、今日も一緒に来たつもり」と述べ、献花した。

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大火砕流の概要

大火砕流は91年6月3日午後4時8分に発生。消防団員や警察官、報道関係者らが犠牲となった。その後も2年後に火砕流で住民1人が死亡し、噴火活動の終息宣言が出されたのは96年6月だった。島原市では今後も防災意識の向上と教訓の伝承に力を入れる方針だ。

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