能登半島地震で半壊の築100年超古民家「とまっさま」、解体決断の矢先に「よそ者」建築士が救済へ
2024年1月1日に発生した能登半島地震は、最大震度7の激しい揺れで多くの家屋に甚大な被害をもたらした。石川県穴水町甲地区に建つ築100年を超える古民家「泊家」も例外ではなく、壁にひびが入り、瓦が飛散する「大規模半壊」と認定された。この家は地元で「とまっさま」として親しまれ、江戸時代には加賀藩主が宿泊した「本陣」としての歴史を持つ。しかし、長年の空き家状態と地震被害により、解体が決断されようとしていた。
江戸時代から続く「本陣」の歴史と広大な敷地
泊家の記録は1700年から残り、江戸時代には加賀藩の要人が宿泊する「本陣」として機能していた。1853年には13代藩主前田斉泰が能登視察の際に利用したとされる。現在の家屋は1920年に建てられ、敷地面積は約1800平方メートルとテニスコート7面に相当する広さを誇る。木造2階建ての主屋は延べ床面積約540平方メートル、蔵は5棟、玄関は五つ、便所は四つあった。かつては網元として50人から60人の漁師が集まる地域の中心地であり、地元住民から「とまっさま」と敬称で呼ばれていた。
空き家化と地震被害、解体への道のり
1963年に家を建てた泊宗一が亡くなって以降、名義変更は進まず、2010年ごろから空き家となった。2023年には最後の跡継ぎが高齢で亡くなり、雨漏りやカビが発生するなど経年劣化が進行。親族の同意が必要な名義変更の手続きは難航し、主要な親戚は能登に住んでいない状況が続いた。記者の母である中村一子は「中途半端な再生はできない」と父から言われ、家の重みを感じて再生を断念していた。
2024年1月の地震では、津波が周囲の家々を損壊させたが、泊家は浸水を免れたものの、壁のひび割れや瓦の飛散により「大規模半壊」と判定された。中村氏は「誰も住んでおらず、引き継ぐ人も資金もない。更地にした方が地域のためだ」と考え、2024年4月に町役場へ公費解体を申請。地域から姿を消すことが決まった。
「よそ者」建築士の登場と運命の反転
解体が決まった数カ月後、東京から1人の建築士が甲地区を訪れた。この「よそ者」の到来が、泊家の運命を静かに変え始める。建築士は古民家の歴史的価値と地域への貢献可能性に着目し、再生への道を模索し始めた。これにより、解体の危機に瀕していた「とまっさま」は新たな命を吹き込まれる可能性が浮上した。
国土交通省の2025年調査によると、使用目的のない空き家で登記や名義変更がされていないものは17.6%に上る。泊家の事例は、こうした課題を抱える古民家が、外部の専門家によって救われるケースとして注目される。地域のシンボルとして100年以上受け継がれてきた家屋が、今後どのような形で再生されるのか、その行方に期待が集まっている。



