江戸時代の冤罪事件に新たな展開 吟味方の惣十郎が再調査を命じられる
吟味方の詰所では、志村が文机に向かいながら言上帳に目を通していた。そこに崎岡が、惣十郎には見せたことのない恭しさで声を掛けると、彼はゆっくりとこちらに向き直った。
「呼びつけてすまぬな」
そう切り出された惣十郎は、密かに胸をなで下ろした。どうやら叱責を受けるわけではないらしいと察したからだ。崎岡も安堵したのだろう、ふっと肩の力を抜いた様子が目の端に映った。
五年前の永牢事件が再び動き出す
「吟味のやり直しになった件があってな、そなたらの力を借りたい。五年前、すでに吟味を経て永牢となった者なのだが」
意外な申し出に、惣十郎の身はこわばった。永牢とは生涯牢から出られぬという御沙汰である。廻方が捕らえた者が吟味の果てに無罪となることは時としてあるが、吟味詰となってから、しかもこれだけ年月が経ってから、廻方に差し戻す形で調べ直しをすることは、まずない異例の事態だった。
――俺が扱った一件か。いや、どうせ崎岡だろう。
ひやりとしつつも、すぐにそう思い直したのだが、聞けば、どちらも係り合ってはいない一件だという。
武器密造の疑いで永牢となった罪人
その事件は、武器密造の廉で捕らえられた罪人のものだった。当人は一貫して無実を訴え、拷問を受けてもいっこう屈しなかった。ただ、鍛冶町にあるその者の店に置かれていた、鉄砲らしき鉄製の部品が証拠となり、疑いは晴れることなく入牢となったのである。
「ところがこたび、新たに直訴してきた者があってな。己の図面をその者に盗まれたと申すのじゃ。これを受けた当番与力から、わしが相談を受けた。どうしたものかと困じてな。用部屋を通してお奉行にご意見を賜ったところ、調べ直せとの下知なのじゃ」
おととし北町奉行に就いた鍋島内匠頭直孝は、朝顔の変わり種を交配で作るのが趣味だと聞いてからというもの、惣十郎は勝手に温厚な印象を抱いていた。その奉行が再調査を指示したことに、事件の重大さを感じざるを得なかった。
彦根藩士からの直訴がきっかけ
「して、その直訴をしてきたのはどなたにございますか」
惣十郎が問うと、志村は手元の書面に目を落としたのち、こう答えた。
「弓浜宗佑なる人物じゃ。彦根の蔵屋敷詰めの藩士でな、直訴は彦根藩の意向だと申しておる」
なるほど、それゆえ捨て置けなかったのか。町人からの訴えではなく、藩士、しかも藩としての伺いとなれば、これをたやすく受け流すことができないのも道理である。惣十郎は、この再調査が単なる事務手続きではなく、政治的配慮も絡んだ複雑な案件であることを悟った。
五年前に決着したはずの事件が、新たな証言者によって再び動き始めた。武器密造という重罪で永牢となった男は、果たして本当に無実なのか。それとも、新たな証言が別の真相を隠すための策略なのか。惣十郎は、この難題に取り組む覚悟を固めつつあった。