今回の「懐石」をテーマとした展示を観ていると、茶の湯とは“供応の芸術”なのだと思えてくる。
「懐石」とは懐石料理のこと。今日では高級和食コースという印象だが、本来は正式な茶会(茶事)で喫茶の前に振る舞われる軽食。抹茶はカフェインを多く含んだ刺激物。空腹で飲むと体によくない。そこで、まずは一汁三菜の軽い食事を取って、空腹を和らげてから、濃茶そして薄茶を味わって心身ともに充足するというわけだ。そのために、亭主は来客に対する心遣いを怠ってはならない。飲食はもとより、季節の草花や美術工芸品を配する環境づくり、折々に応じた会話等にも工夫を凝らす。客もそうしたもてなしに心を開き、豊かなコミュニケーションが育まれていくのだ。
現代美術と茶の湯の接点
現代美術的には、それは“参加型アート”に繫がる。主眼はモノではなく、場とモノを介する作者と鑑賞者の関係性の構築。赤瀬川原平や菅木志雄といった現代美術家が茶の湯や利休に興味を示したのも理解できる。
三菱財閥の創業家・岩崎家の美術コレクションを管理する静嘉堂文庫美術館の所蔵品の中から、様々な懐石の器が並ぶ今回は、従来の茶道具の展示とは一味違う。勿論、同館のお宝、国宝「曜変天目(稲葉天目)」も登場する。
主役は脇役の器
が、あくまで主役は“向付(むこうづけ)”なる小鉢をはじめ、鉢や皿といった食器類に徳利(とっくり)や盃(さかずき)の酒器等。人々が注目する茶道具とは違い、“供応”の場を細やかに支える脇役的存在。ただ、そうした何げない器に凝らされた趣向にこそ、亭主と客、客と客の関係性を繫ぐ慎ましい美意識が息づく。
ただ、そこで少々気になったのが、懐石の流れを示す展示で、飯椀、汁椀、湯斗等がシンプルな黒塗りの漆器で「参考出品」として展示されていたこと。岩崎家の逸品による懐石の演出ということから、それに見合う作品が見つからなかったというのだろう。そこで説明のための参考資料として示す。モノを重視する美術館の意識は分からないではない。ただ、ここで大切なのは“供応”の精神だろう。ならば黒塗りの器も“参考”などと敢えて記す必要はない。極端な発想を言うと、そこに今日の100円ショップの器を配し、敢えて今日的話題性を提供するのも一興。今回の展覧会が茶事に因(ちな)むなら、懐石のキュレーションには、そんな洒落(しゃれ)っ気もあっていいだろう。
侘び寂びの本質
本来、利休の“侘び寂び”とは既存の価値観、強いて言えば世俗の権威や権力、経済力を脱して、個々の等身大の美意識を尊重することにあるのではないか? 茶事も展覧会も、醍醐味は一見価値のなさそうなモノが、その場に収まることで輝きだすことだろう。人と人、人とモノの関係性に生まれる美意識。茶の湯が“供応の芸術”たる所以(ゆえん)だ。(藤田一人=美術評論家)
「美を味わう-懐石のうつわと茶の湯」展は、東京都千代田区丸の内2の1の1、明治生命館1階の静嘉堂@丸の内で、6月14日まで開催。月曜休館。問い合わせはハローダイヤル=電050・5541・8600=へ。



