安城で新美南吉を追体験する旅
愛知県安城市は、大正から昭和初期にかけて「日本デンマーク」と呼ばれた農業先進地です。その地で、童話「ごん狐」で知られる新美南吉が晩年の5年間を過ごしました。病気で将来を失いながらも、安城高等女学校の教師として生徒と交流し、童話作家としての夢をかなえた南吉。彼の足跡は街のあちこちに残っています。
南吉の下宿先を訪ねて
オレンジ色の狐の足形をたどり、南吉の下宿先へ。門をくぐると、古民家と手押しポンプの井戸が当時のままに再現されています。南吉は離れの8畳間で3年半過ごしました。「新美南吉に親しむ会」の前代表・澤田喜久子さん(82)は、南吉のやんちゃな一面を笑いながら語ります。「お手洗いがなくて、母屋に行くのが面倒だから縁側から用を足したこともあったとか」。教え子たちが窓越しに「先生、試験を後にして」とせがんだというほほえましい挿話も残っています。
商店街のオブジェとゆかりの店
JR安城駅近くの商店街には、南吉や作品をモチーフにしたウォールペイントや、ベンチに座る南吉と生徒のオブジェ「南吉語らいの椅子」が設置されています。創業127年のうなぎ・日本料理店「吉野屋」には、南吉がすき焼きを食べた座敷が残り、日記には隣室から聞こえた男女の声に「男の顔を見てやりたかった」と毒づいた記述も。4代目店主の太田享秀さん(58)は「純粋な童話作家のイメージと、粗暴な部分のギャップが面白い」と話します。
南吉の文学碑と麦畑
桜町小学校の庭園には、「ごん狐」の石像や南吉最初の文学碑「ででむし詩碑」があります。南吉は教え子たちと麦畑を抜けて詩作に出かけたといいます。市街地化で当時の風景は変わりましたが、郊外には麦畑が広がります。南吉は畦道に新聞を敷いて寝転び、風の音やひばりの声を楽しみました。目を閉じれば、麦の青々とした香りが広がり、南吉の日常を少しだけ追体験できます。
安城のもう一人の偉人と歴史
安城は約370年前、徳川家康が三河一向一揆を乗り越えた地でもあります。一揆の最大拠点だった本證寺は、二重の堀と土塁が巡る堅固な城郭寺院。住職の小山興圓さん(54)は「一揆勢は矢作川の物流を支配し、豊かな兵糧があった。それを得た家康は勢力を拡大した」と語ります。初夏には内堀にハスが咲き誇り、風情ある景色を作り出します。
また、不毛の台地を農地に変えた明治用水の発案者、都築弥厚も安城の偉人。私財を投じて測量し、1880年に用水を完成させました。南吉は弥厚に共感し、その伝記を執筆中に病死しました。半田市の新美南吉記念館の遠山光嗣館長は「南吉は伝記を通じて安城が繁栄した理由を書こうとしたのでは。農業革新が教育に費やされ、女学校ができた感謝もあっただろう」と推測します。
デンパークと地ビール
安城産業文化公園デンパークは1997年に開園。名称は「デンマーク」「田園」「伝統」の三つの「デン」に由来します。数千種類の花が咲き、デンマーク式風車が回る園内では、復活した安城産大麦100%の地ビール「デンスタービール」を醸造。南吉の日記に「ビールが飲みたいと思いながら学校に行き」とあるように、その渇望感を想像しながら味わう一杯は格別です。
南吉ゆかりの味「デンマークまぶし」
吉野屋の名物「デンマークまぶし」(4345円)は、安城が「日本デンマーク」だった大正時代、初代店主が生産日本一の鶏卵を錦糸に焼き、刻みのりとともにうな丼にまぶしたメニュー。ひつまぶしのように、そのまま、薬味、だし汁茶漬け、お好みの4通りで楽しめます。だし汁の代わりに、安城産イチジク茶を選べば、うなぎのタレの濃厚さを清涼感がリセットし、次の一口への意欲をかき立てます。南吉が使った2階の座敷も予約可能です。
南吉の創作意欲を刺激した街の活気
大正時代、安城の農業経営の多角化で生産された鶏卵は東京でシェア2割を占め、「日本デンマーク」の豊かさを象徴しました。各地からの視察者をもてなすために安城芸妓が誕生し、今も活動しています。自然と花街の活気が、南吉の創作意欲をかき立てたのでしょう。
アクセスと問い合わせ
東京駅から新幹線「こだま」で三河安城駅まで約2時間30分。南吉の下宿先(0566-75-8139)、本證寺(0566-99-0221)、安城産業文化公園デンパーク(0566-92-7111)まで。



