「東洋一の火薬庫」史料展示 関ヶ原で戦争遺跡の企画展、平和継承へ
岐阜県関ヶ原町の町歴史民俗学習館で、戦争遺跡を紹介する企画展「戦中の関ヶ原と玉の火薬庫」が開催されています。戦後80年の節目を昨年迎え、さらに90年、100年と「平和の尊さ」を次世代に継承しようと、同学習館が企画したものです。
広大な敷地に築かれた火薬貯蔵施設
同町玉地区には、1916年に建設された旧陸軍の火薬貯蔵施設「名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠」がありました。敷地面積は約220ヘクタールと広大で、点在する小山に横穴を掘るなどして198棟の火薬庫が作られました。太平洋戦争中には、最大で約3200トンの火薬が保管され、その規模の大きさから「東洋一の火薬庫」と呼ばれていたのです。
約40点の貴重な史料を展示
企画展では、実際に使われた火薬の金属製保管容器や、火薬の製造工場があった「板橋」と書かれたラベルの貼られた木製の弾薬箱などが並んでいます。さらに、パネルや写真、関連史料に加え、戦時中の町の暮らしを伝える町民所有の鉄かぶとやガスマスクといった戦争に関する史料も展示されています。展示点数は約40点に及び、当時の緊張感を現代に伝えています。
学芸員の思いと展示の詳細
同学習館の川島行彦学芸員は、「関ヶ原町に火薬庫があったことを多くの方に改めて知ってもらい、戦争遺跡として後世に伝えていきたい」と語っています。企画展は8月15日まで開催され、入館は無料です。休館日は毎週月曜日で、祝日の場合は翌日が休館となります。この展示を通じて、戦争の記憶を風化させず、平和の大切さを考える機会を提供しています。



