築地教会の「ギリシャ神殿」 被災から150年の歴史と建築美を探る
東京メトロ築地駅から徒歩5分、中央区明石町に佇むカトリック築地教会。その外観は、古代ギリシャのパルテノン神殿を思わせる荘厳な姿で、周囲の高層ビル群の中にあって異彩を放っている。1874(明治7)年に創立され、約150年の歴史を刻むこの教会は、関東大震災という試練を乗り越え、現在に至るまで信仰の場としての使命を果たし続けている。
明治の外国人居留地に誕生した祈りの場
築地教会が立つ明石町一帯は、明治期に外国人居留地として栄えた地域だ。1873(明治6)年、明治政府がキリスト教禁教政策を解いたことを受け、各教派が相次いで教会やミッションスクールを設立。パリ外国宣教会も1874年に用地を確保し、最初の聖堂を建設した。その後、本格的な聖堂が建てられるが、1923(大正12)年の関東大震災で焼失。4年後の1927年に現在の聖堂が竣工し、今日に至っている。
都内のカトリック教会では、神田教会(千代田区)と並んで最も歴史が古く、東京カトリックの玄関口としての役割を担ってきた。その建築様式は、ゴシックやロマネスクが主流となる中、珍しいギリシャ神殿風を採用している点が特徴的だ。
「自由なデザイン」が生んだ均衡の美
教会のファサード(正面デザイン)を支える太い6本の柱は、力強さと均衡の取れた美しさを醸し出している。なぜこのような様式が選ばれたのか、築地教会のレオ・シューマカ神父(64)は推測を交えながらこう語る。
「関東大震災の3年前、東京教区の中心となる東京大司教座が築地教会から関口教会(文京区)に移転しました。そのため、もう少し自由で面白いデザインを、と考えたのかもしれません」
創設に関わったパリ外国宣教会が、パリのマドレーヌ寺院をモデルにしたとの説も伝わるが、確証はない。しかし、被災からの復興期に建てられたこの聖堂は、力強く立ち上がろうとする意志を象徴しているように見える。
シンプルな内装と象徴的なステンドグラス
聖堂内部は外観同様にシンプルな造りだ。正面奥には飾り気のないデザインのステンドグラスが掲げられ、麦とブドウが描かれている。麦はミサでいただくパン、ブドウはぶどう酒を象徴し、イエス・キリストの肉と血を表す。日中は、道路を挟んで向かいにある聖路加国際病院などから訪れる人々が、長いすに腰かけて静かに時を過ごす姿が見られる。
門の近くには、旧聖堂で使われていた鐘が飾られている。高さ約95センチ、直径約68センチのこの鐘は、関東大震災で崩壊した旧聖堂で祈りの時を告げていた遺品だ。現在は使用されていないが、レオ神父がひもを引くと、震災による傷みのためか、微妙に音が変わるという。
観光客も増える「東京の穴場」
近年では築地観光のついでに立ち寄る外国人観光客も増加している。レオ神父は「東京カトリックの玄関口としての歴史があります。多くの観光客が来られるので、オープンな形で受け入れ、与えられた使命を果たしたい」と語る。
聖堂の扉の脇には、イエスの一番弟子であり、天国の鍵を授けられたとされる聖ペトロ像が立つ。崩れ落ちた旧聖堂から運び出されたこの像は、今も訪れる人々を静かに見守り続けている。
150年の時を超え、被災から立ち上がった「ギリシャ神殿」は、歴史的価値と建築美が調和した稀有な存在として、これからも多くの人々に安らぎと畏敬の念を与えていくに違いない。



