ナフサ不足でカルビーが白黒パッケージに変更、色のない生活の影響とは
ナフサ不足でカルビー白黒パッケージ、色のない生活の影響

世界情勢が依然として不安定な中、日本にもさまざまな影響が及んでいる。その代表的な例が「ナフサ不足」だろう。正直なところ、「ナフサ」という存在自体、今回初めて知った人も多いかもしれない。ナフサとは、原油を精製する過程で得られる無色透明の液体だ。それだけ聞いても、ナフサ不足が私たちの生活にどのような影響を及ぼすのか、具体的にイメージしにくい。しかし、全国的に大きな影響を感じさせたのが、カルビーの「主力商品パッケージの白黒2色変更」ではないだろうか。

パッケージの印刷に使用される多色インクにはナフサが使われている。ナフサの供給が不安定なことから、カルビーは商品の提供を優先するため、ポテトチップスのうすしおやコンソメ、かっぱえびせん、フルグラなどの主力商品のパッケージを白黒にすると発表した。これはカルビーによる反戦メッセージであるという憶測も飛び交ったが、カルビーはそれを否定している。他にもパッケージの白黒化を検討している企業があるらしく、私たちの生活から徐々に色が失われていくのではないかと懸念されている。

もしも世界から色が消えたら?

かっぱえびせんの白黒版を最近見かけたが、1つ2つならともかく、すべてがこの状態になったら判別コストが半端ない。まだ白黒パッケージにお目にかかっていない人も多いだろうが、白黒パッケージが並んでいるのを見た瞬間、人間は判断をかなり「色」に頼っていることを再認識するはずだ。

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信号を一瞬で識別し、アクセルやブレーキを踏んだり踏み間違えたりするように、体脂肪の8割をカルビーで育んできた人間は、パッケージに書いてある「うすしお」や「コンソメ」の文字を読まずに、パッケージの色味で意中の味を掴み取ってきた。ちなみに私はうすしお派であり、手についた油をTシャツの裾に染み込ませるが如く、「うすしおといえばオレンジ」と染みついてしまっている。そんなTシャツ半透明勢に向けてなのか、カルビー以外のメーカーもうすしおのパッケージはオレンジにしていることも多い。

だがパッケージが白黒になってしまったら、私はうすしおを購入するために「うすしお」という文字を読んで購入しなければならない。時間としてはわずかだろう。私は1文字あたり5秒ぐらいかかるが、普通の人なら3秒ぐらいで読めるかもしれない。しかし全商品が白黒になったらどうだろうか。特に普段使いするものほど色で覚えているものだ。つまり、パッケージの白黒化が進んだら、日々の買い物にかかる時間が倍化するのではないかと思われる。

野菜も白黒に?

ナフサ不足により、野菜が白黒化することはないだろうが、もし野菜に「野菜王が亡くなったので一週間ほど喪に服す」と言われたら、私たちは一瞬ではトマトをトマトだと判別できず、商品名と商品を指さし確認してから買うことになるだろう。たまに、取った商品を別の棚に戻す暴挙をかます客がいるが、白黒の世界でこの行為はより罪深くなる。ブロッコリー棚にカリフラワーを戻すような奴は実刑もあり得る。

パッケージが白黒になるだけで、内容が変わらないなら大差ないように感じるが、これが進むと私たちの生活は如実に不便になるだろう。それに内容は変わらずとも、白黒のパッケージによりポテトチップスのおいしそう感はかなり損なわれてしまっている。もともと食品パッケージは、食欲を刺激するデザインや色味で構成されているため、それらが白黒になったら私たちの食欲はかなり減退すると思われる。

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白黒化のメリット

利便性的にも精神的にも白黒化は私たちに大きな影響を与えると思われるが、無理やり良いところを見出そうとするなら「落ち着く」という点だろうか。iPhoneには画面をモノクロ化するモードがある。なぜこのような機能があるかは不明だが、画面をモノクロ化することでスマホ依存治療ができると聞いたことがある。もしiPhoneがスマホ依存対策にこの機能をつけているのだとしたら、絆創膏付き刃物と言った感じだが、試しにモノクロでiPhoneを操作してみたことがある。

まず操作が格段にしづらくなる。確かにすぐに投げ出されるクソゲーとは、おもしろくないゲームではなく操作性がクソなゲームなので、UIを劣化させることでスマホ時間を減らす効果がありそうだ。そしてなにより画面から発せられる刺激が少ない。現代人はスマホから発せられる音や光などさまざまな刺激により脳汁をコントロールできなくなっているのだが、色がなくなるだけで脳汁の出が中高年の排尿事情を感じさせる勢いになってくる。

つまり、世の中に白黒が増えれば、私たちの精神は鎮静気味となり、活気はなくなるが、無駄な争いも減るのかもしれない。そう考えると、葬式や通夜が白黒で統一されているのも納得だ。別に白黒に鎮静されなくても参列者はこれ以上なく沈んでいるとは思うが、全員がそうとは限らず、故人が亡くなったことでテンションマックスになる立場の人間もいるかもしれない。しかし、せめて式の間だけはブチ上がっていることを隠しきれるように、式場内は興奮を抑える色で統一されているのだろう。

想像以上に私たちの生活は色に影響されている。色がなければもっと冷静に暮らせるのかもしれないが、それも寂しいものである。